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厄介な隣人

隣人に辟易している。我が家の幼い息子がやかましく泣きわめく時、彼らは容赦なくバンバン壁を叩いてくる。そのこと自体は…まあ確かにこちらが迷惑をかけているという事自体は否定できない。我が家の息子の泣き声はヤバい。窓ガラスがビリビリ震えるほどの声量がある。こちらも好きで息子を泣かせているわけではないにせよ、彼らの壁ドンも正当な抗議と言えるかもしれないな、と思う。ただ、納得がいかないのは、我々の生活騒音にやたら神経質な彼らは、自らの騒音については、全く気を遣っていない、ということだ。訳のわからんピアノ曲を爆音で鳴らすわ、ベランダで丸のこもガンガン使うわで、割と好き放題に暮している。それら自体は、おれにとって我慢できないレベルの騒音ではないのだが、子供がどうしても泣きやまない時に、ガンガン壁を叩かれた時の事を思い返すと、やはりこちらとしても、納得いかないな、なんて思うわけです。OTAGAIーSAMAの美徳が共有されていない。
あえて隣人の属性を書き記すと、彼らは中国人である。筋骨隆々の男と、小柄な女が同居している。女の方はよく分からないが、男には、はっきりと粗暴な印象を受けている。この間、混雑するスーパーで彼を見かけたが、混雑の中で人とぶつかりそうになるたびに、いちいち大きな舌打ちをしていて、そのくせにすれ違った婆さんに謝られると、やけにキョドキョドして逃げるように立ち去っていった。ダサい男なのである。
 うちの妻なんかはもう、完全に「これだから中国人は…」みたいなモードになっている。妻がそういうことを口走る度に、彼女に対する尊敬の念が薄れていく。中国人Aに対する感情を、安易に中国人全体に拡大してしまう愚かさと、自分がマジョリティであることに慣れきった傲慢さを感じてしまう。同時に、そんな風に思う自分についてもどこかしら嫌気がさしている。というのも、おれは自分が沖縄出身で、この社会においては何だかんだマイノリティであるということを自覚しているから、「これだから中国人は…」みたいなことを口走ることに距離を置きたいと考えているだけで、別に異国に暮らす彼らに対して何らシンパシーを感じているわけではないのだ。おれが「これだから中国人は…」みたいなことを言わないのは、結局のところ自分のためでしかない。何なら、「これだから中国人は…」みたいな非理性的なことを言う自分が、いかにもアホっぽくて嫌だから言わないだけなのかもしれない。そこにあるのは自分の感情というか、自意識の問題だけであって、他人の存在はどこにもない。「差別しない自分」が大事なだけで、中国人の隣人自体はどうでもいい。自分と関係しないところで不幸になってくれるなら、おれはきっと手を叩いて喜ぶことだろう。
 そんな自分が、「これだから中国人は…」みたいなことを口走る妻に何か言えることがあるのか。ない。ないに決まっている。仕事の場面なんかでもね、「これだから中国人は…」みたいなことを聞くのは決して珍しいことではないわけですよ。そんな時、おれは別に義憤にかられたりはしない。一切の無。それって、自分や自分に近しい人が差別に加担しなければそれで満足ということでしかなくて、差別自体は容認しているということなのか……。クラスのイジメは徹底的に傍観者の立場を貫いておいて、全国区のイジメニュースには義憤にかられてイジメっこを特定にかかる中学生みたいで、ダサくないか……。でも、正直もうその手前の、「自分や自分に近しい人が差別に加担しなければそれで満足」っていうところだって、前提が相当に怪しくなってきてる。おれが「これだから中国人は…」と口走るまで、もうあと数ミリメートルも残されていない。
 このままじゃいかん。「中国人」を本来の「中国人A」という存在に戻すためには、やはり個対個として決着を着ける必要がある。そうすれば、おれも、そして妻も、差別の甘い誘惑を断ち切ることができるはずだ。その第一歩としては、やはり彼らの壁ドンに対して、「私は、あなたの抗議は不当だと考えていますよ」ということをはっきりと伝えなければならない。つまりは、カウンター壁ドンしかない。それで、ここのところずっと彼らの壁ドンを待ち構えていて、今日ようやくカウンターを実行することができたんだけど、これが意外と壁が厚くて全く衝撃が伝わらない。逆に連中がどうやって壁ドンを成立させてるのか不思議で仕方がない。通背拳の達人であるとしか思えない。