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砂糖菓子の長州力は撃ちぬけない

プロレス

実のところ、これまでプロレスやプロレスラーに憧れを抱いたことがない。ただの一度もだ。そんなおれだけれども、プロレスファンにはずっと憧れている。尊敬している。それは昔からそうだったし、プロレス最強幻想が破綻した今ではなおさらのことだ。
「強さ」を売りにしていたはずのプロレスが、最強ではなくなる。それはきっとプロレスファンにとって、簡単なことではなかったはずだ。「あれ? キックの方が強いのでは…?」「柔術のほうが強いのでは…?」という疑問を生じること事態が、そもそも由々しきことだっただろうと思う。もちろん、プロレスラーの価値は強さだけに立脚するものではないだろうし、そうした認識は昔からずっとあったものだろうが、それでも「ガチで闘えば最強…」という幻想がプロレスの魅力を底で支えていたのは確かだ。その底が抜ける、抜けてしまったとき、プロレスはどうなってしまうのだろう。ヤバいのではないか。少なくとも、門外漢のおれはそのように感じていた。もしそうでないならば、桜庭和志の「プロレスラーはほんとうは強いんです」という発言が、あれほど輝くことはなかったはずだ。
……しかし、結局のところ、プロレスラー=最強の図式が人々に戻ってくることはなかったように思われる。時は流れ、いつのまにか最強という冠もその輝きを失い、格闘技というジャンルそのものが訴求力を失ってしまったかのような感がある。少なくともおれ個人としては、だれが強いとか弱いとかどうでもいいよ、というような気分だ。
そんな中、相変わらずプロレスファンの語りには熱がある。面白い。おれにはプロレスの知識が全くないので、その面白さの半分もわかっていないだろうとは思う。それでもなお、他のどのジャンルのマニアの語りよりも、プロレスファンの語りは面白い。なぜか。正直、おれの眼から見て、プロレスというコンテンツがそれほど魅力のあるものとは思えない。スピードに欠けるモッサリした動き、試合自体のテンポの遅さ、古色蒼然とした演出…。アメプロはとにかくとしても、日本のプロレスのどこが面白いのか、素人目には全く分からない。しかし、プロレスファンのプロレス語りは面白い。
とすれば、彼らはおれの目には映らないものを楽しんでいるのだろう。そう解釈するほかない。目には見えないもの、見えないのだから、それはこの世に存在するものではないのだろう。実際には存在しないものが面白さを決定する…。そんな力を持った幽霊はこの世でただひとつしかない。意味だ。
あるプロレスラーがドロップキックを放つとき、おれの眼にはただ巨漢が宙を飛んでいるだけにしか見えない。しかし、おそらくプロレスファンの視界はそういう風にはできていない。ドロップキックが放たれた瞬間、プロレスファンは様々な階層の意味が何重に折り重なった曼荼羅の出現を目撃する。対戦する選手同士の対立構造といった過去のレイヤー。そしてドロップキックを放ったことがそうした確執や試合結果にどのように反映されるかという未来のレイヤー。そして巨漢が宙を飛ぶ姿を生のままに写した現在のレイヤー。これら過去・未来・現在が同時に出現し、さながら三世仏坐像の如き美しさがドロップキックの軌跡に浮かびあがるのである。そして、そのほとんどはとびきりチープな嘘なのだ。そんな高度な世界を生きている連中の言葉が、面白くないわけがない。
以上のことが、おれがプロレスファンに向けてもっていた印象であり、実際にプロレスファンの友人を見てみても、だいたいそんなところで間違いはないだろうな、とそんな風に思っていた。浅はかだった。彼らの悟性はそんなもんじゃなかった。
明日のことなど気にすることもなく、だらだらと朝まで飲んだくれる。勘違いに気が付いたのは、そんな振る舞いが許されていた、学生時代のことだった。飲んだくれたおれたちは朝になっても行くところがなく、大学構内にぐだぐだと居残っていた。桜が咲いていたような気がする。朝もやは美しく、鳥のさえずりは耳に心地よく、しかし疲れ果てていたおれたちにはとってはもはや何もかもがどうでもいいことだった。喋り過ぎで喉はガラガラだった。プロレスファンの友人は、完全に酔っ払っていて、話す内容に脈絡というものが完全になくなってしまっていた。だから、どうして彼が長州力のラリアットについて語りだしたのかはわからない。
長州力のラリアット! おまえ、あれは最強だぞ!あんなに美しい技は他にねえぞ!あんなのあたったら、ヒョードルだろうがミルコだろうが、首から上がなくなっぞ!」
普段はそんなことを口走るやつではなかった。おれは、なわけないだろ、なんて口では言いながら羨ましくてしかたがなかった。たぶんに、酒のせいだろうとは思う。長州力を語る友の口ぶりには、迷いや恐れというものが微塵もなかった。父親の最強を信じる、子供のようにまっすぐだった。おれは、ぐだぐだと意味だ、物語だ、などとみっともない文系的な解釈で何かをわかったかのような気になっていた自分が恥ずかしくなった。人が何かを愛するために、そんなものが必要だろうか。人が何かを信じるために、そんなものが必要だろうか。長州力のラリアットは世界で一番美しい。世界で一番強い。おれはそのラリアットが届かない我が身を呪った。長州力よ!ラリアットをもっと強く振りぬいてくれ! もっと速く振りぬいてくれ! 
結局、長州力のラリアットがおれを撃ちぬくことはなかった。おれにとって、長州力長州力のままで、プロレスは昭和の遺物のままで、おれに信じられるものなんて何もない。そんな状況で生きていくのは辛いことだ。おれはまだ何も選んでいない。おれはまだ何も信じていない。居心地は悪いままだ。「君は君の神様を見つけろ」長州力が、そう言った気がした。長州力がそんなことを言うわけはないし、言ったところでおれにそれが聞き取れるはずもないのだけれど。