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邪気眼を世界遺産に

文章

中学の頃カッコいいと思って
怪我もして無いのに腕に包帯巻いて、突然腕を押さえて
「っぐわ!・・・くそ!・・・また暴れだしやがった・・・」とか言いながら息をを荒げて
「奴等がまた近づいて来たみたいだな・・・」なんて言ってた
クラスメイトに「何してんの?」と聞かれると
「っふ・・・・邪気眼(自分で作った設定で俺の持ってる第三の目)を持たぬ物にはわからんだろう・・・」
と言いながら人気の無いところに消えていく
テスト中、静まり返った教室の中で「うっ・・・こんな時にまで・・・しつこい奴等だ」
と言って教室飛び出した時のこと思い返すと死にたくなる
柔道の授業で試合してて腕を痛そうに押さえ相手に
「が・・・あ・・・離れろ・・・死にたくなかったら早く俺から離れろ!!」
とかもやった体育の先生も俺がどういう生徒が知ってたらしくその試合はノーコンテストで終了
毎日こんな感じだった
でもやっぱりそんな痛いキャラだとヤンキーグループに
邪気眼見せろよ!邪気眼!」とか言われても
「・・・ふん・・・小うるさい奴等だ・・・失せな」とか言ってヤンキー逆上させて
スリーパーホールドくらったりしてた、そういう時は何時も腕を痛がる動作で
「貴様ら・・・許さん・・・」って一瞬何かが取り付いたふりして
「っは・・・し、静まれ・・・俺の腕よ・・・怒りを静めろ!!」と言って腕を思いっきり押さえてた
そうやって時間稼ぎして休み時間が終わるのを待った
授業と授業の間の短い休み時間ならともかく、昼休みに絡まれると悪夢だった

 なぜいまさら邪気眼なのか?となどと思われる方もおられるとは思いますが、我々は、この文章をエバーグリーンだとかマスターピースだとか言われるべき類のものだと考えており、22世紀に向けて語り継いでいかねばならないという信念すら抱いているので、今頃になって全文転載することにも何ら躊躇も感じません。
 この文章の魅力を挙げていけばきりがないので、いちいち列挙するのはやめておきますが、あえて一つだけ述べるならば、それはやはり結びの一文になるでしょう。

授業と授業の間の短い休み時間ならともかく、昼休みに絡まれると悪夢だった

明らかに投げっぱなしです。我々の想像するところ、おそらくこの書き手は邪気眼を信じていた自分を克服するためにこの文章を書き始めたのでしょう。かつての妄想を、おもしろおかしく笑い飛ばすことで、今の自分は、もはやかつての(みじめな)自分とは違うのだと再確認しようとした。文章の半ばまで、彼の企みは、完全に成功していたように思えます。事実、初めて読んだとき、我々はあまりのおかしさに笑い転げずにいられませんでした。我々があんなに笑ったのは、もしかするとそのときがはじめてだったかもしれませんね。
 しかし、我々がこの文章を愛するのは、おかしいとか、面白いだとかいうよりもむしろ、そこに漂う哀しさにこそあります。
前掲したように、文章を締めくくるのは「悪夢だった」という一語ですが、ここで「悪夢」が意味するものは、邪気眼という夢想ではなく、中学時代の彼が生きた現実そのものである、ということに注意する必要があります。邪気眼のことを語っていたときは、あれほどに活き活きと息づいていたユーモアが、末尾においては完全に死に絶え、もはやこれ以上語ることができないと諦められたような投げやりな態度で文章が閉じられています。ここで、「邪気眼を信じてはいない自分が、邪気眼時代の自分を笑う」という彼の企みは完全に破綻しました。「邪気眼」という防衛機構を持たない現在の彼には、醜悪な中学時代の現実を追体験することが耐えられなかったのです。語ろうとする内容が語り部に牙を剥き、ついには語りそのものを断念させる、その瞬間の戦慄は、何にもまして我々の心を打ちます。
邪気眼」という、おそらくはコミック作品「幽遊白書」を源泉に持つのであろう手垢に塗れたファンタジーを、サンタクロースを愛するように愛することも、もしかするとできたのかもしれない。しかし、彼はそうしなかった。あるいは、やはりそれは不可能なことであったのか。いずれにせよ、我々がそこから学ぶことは少なくないはずです。

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