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「ぼくのかんがえたロックマン」で考える格差社会!

 もしかすると、「ぼくのかんがえたロックマン」という言い方は一般的ではないのかもしれない。「ぼくのかんがえたロックマン」でgoogle先生に尋ねてみても、そのものズバリのサイトはヒットしないのだ。実際、「ぼくのかんがえたロックマン」で考えるのはロックマンではなく、ロックマンと敵対するボスキャラであるので、この言い回しは正確さには欠けるかもしれない。とはいえ、二十歳前後の世代に位置する方ならば、「ぼくのかんがえたロックマン」と言えば何の話をしたいかはわかってもらえることと思う。一応、念のために説明しておくと、「ぼくのかんがえたロックマン」というのは、CAPCOM社の発売したファミコンソフト「ロックマン」シリーズの販促キャンペーンのひとつで、ゲームに登場するボスキャラを子供たちから募集する、というものである。自分の考えたキャラクターがゲームになる、ということは、当時の子供たちにとっては考えただけでもほんとうにどきどきさせられることだった。僕(25歳になりました!)より少し上の世代のとっての「ぼくのかんがえた超人」のようなもの、と言えば分かってもらえるかもしれない*1
 以前、同世代の友人と酒を呑んでいて、「ぼくのかんがえたロックマン」の話で盛り上がったことがある。当然のように、「おまえのかんがえたロックマン」はどんなんだったよ? という話になる。この時点で、何とはなしに嫌な予感はしていたのだ。「ぼくの考えたロックマン」からは存外にその人間のセンスが伺えるものだ。幼いころに考えたものであるだけに、その格差は残酷なものとなる。しかし、酔っていたこともあって、さほど警戒することもなく、僕の「ぼくがかんがえたロックマン」を披露してしまったのだった。
 当時の僕が考案したのは「ジュエルマン」というキャラクターだ。名前の通り、モチーフは宝石である。水晶をイメージした六角柱が体のいたるところから突き出している、というデザインだった。必殺技は、「ジュエルアーマー」艶やかな表面を持った宝石がバリアになり、敵の攻撃を跳ね返すというものだった。当時の僕は、このキャラクターのことを、きらびやかで、強くて、我ながらカッコいいものを思いついてしまった、などと考えていた。
 友人は、僕がジュエルマンについて語り終えた瞬間、にやりと笑った。「勝ったな、それも圧倒的に」と言わんばかりの表情であった。次は友人が語る番だったが、実際のところ、彼のキャラクターは僕の考えたジュエルマンをはるかに上回るものだった。
彼のキャラクターは「チェーンマン」と言う。名前の通り、モチーフは鎖である。この時点で、僕は負けた、と思った。子供のころの僕には分からなかったかもしれないが、今の僕には、いくつかの点で、このキャラクターが僕のジュエルマンを上回っていることが理解できるのだった。
 まず、一点。ロックマンの「ロック」は何を意味しているのか?ということについて。ロックミュージックである。ロックマンのガールフレンドがロールちゃんであり、ブルースやビートといったキャラクラーが登場すること、音楽にメタル調のものが多く見られることなどからこれは明らかなことなのだが、僕は長じるまでそのことに気がつかなかった。そのロックに対する敵キャラとして、鎖というモチーフ選択は実に適切なものであると言える。自由を求めるロックに立ちふさがる制約としての鎖。対比がよく利いている。
 二点目。そもそも、ロックマンに敵対するキャラクターはどういった素性によるものか?ということについて。彼らは、そもそも、工事用ロボット*2といったような平和利用のために製作されたロボットであったのが、悪の天才科学者Dr.ワイリーによって改造され、社会に対して破壊活動を行うようになった存在である。つまり、一部の例外を除いて、戦闘用にデザインされたロボットではない。いくら強そうだから、といっても、マシンガンとかライフルだとかといったような直接的に血生臭いものをモチーフにとるのはスマートじゃないのだ。といって、実際には戦闘するわけだから、暴力的な要素も備えている必要もある。
これらの要求をクリアするにあたって、鎖というモチーフはまさにベストに近い。ロックマン2に登場した傑作ボスキャラ、メタルマン(丸ノコがモチーフ)にも通じるところがある。
 引き比べて、我がジュエルマンはどうだ。いかなる文脈においても、肯定する要素が見つからないではないか……。もちろん、友人だって、こうした文脈をいちいち念頭に入れながらチェーンマンをデザインしたわけではないだろう。しかし、意識はしておらずとも、こうした状況を直感的に読み取っていたこともまた確かなことだろうと思う。これは単にセンスの問題と言うよりも寧ろ、情報を整理しその背後関係を把握する、といった情報リテラシー能力の格差であると言える。そして、この
能力は人間関係を構築するうえで欠くべかざるものである。僕は彼と、合コンに行ったことがあるのだが、その時もこの能力格差をまざまざと見せ付けられた。キャラはほとんどかぶっているのに、ひとつひとつの語りで確実に上を行かれるので、ピエロキャラというおれの特等席を完全に奪われてしまうのである。そして、ピエロキャラという居場所を奪われるとおれはもう、その場にただ存在しているということさえ難しくなる。俗に言う、合コン窓際族である。
 おそらく、子供のころから彼はその能力を活かし、面白ボーイとして過ごしてきたのだろう。そしてそうした面白ボーイとしての日常がさらにセンスを磨いていく。ジュエルマンを考えた少年との差異はますまず広がっていくのだ。努力が云々、という問題ではない。問題ではないのだが、歩みを止めたところで、先進国との差異はますます広がっていくばかりだ。先進国の持っている資源とは、そのまま経験機会の量的優位に他ならない。そこで、僕に出来ることは何だろうか?ここは、多少無理をしてでも、普段あまり経験していないことを体験する機会を増やすことで、先進国の持つアドヴァンテージを少しでも削ってゆくほかない。僕にとっての無理とは何か。合コンである。というわけで、誰か僕を合コンに誘ってください。
「それは血を吐いて続ける…悲しいマラソンですよ」
しかし、ジュエルマンが輝くためにはもう他に手段がない。

*1:うしおととら」の「僕の考えた妖怪」ってのもあったな。採用された妖怪「山魚」は確かにカッコよかった。

*2:ユンボル