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タイトルの決め方がすごくいかしてる小説

小説

そもそも、小説にとってタイトルとは何ですか。小説の名前ですか?内容の象徴ですか?
全て間違ってます!もしかすると、それが正しかった時代があったのかもしれないけれど、今となってはもう全然的外れであると言わなきゃいけない。タイトルとは何か。それはもちろん、最初の一文である。今まさに走り出さんとする第一歩、大地を踏みしめる前足こそがタイトルだ。だってそうでしょ。理屈から考えて、大体の人間はまずタイトルを読んでから本文を読むわけだから、タイトルの時点ですでに小説は始まっているのだと考えるのが妥当でしょ。むかしむかしには、良いタイトルとして、最後まで読み終わってからタイトルの意味がわかる、なんてものが挙げられていたりしたけれど、今となっちゃもう、そんなこと悠長に過ぎるってものです。だいたい、読者が最後まで読んでくれるなんて保証はどこにもないじゃないですか*1
 タイトルってのは、本を開く前に読ませることのできる文章なわけです。最後まで読んで分かるとか、そんな次元で勝負するようなウェポンではない。即効。本を開く前に読ませることができるということは、本を開かない人間にも読ませることができるということ。タイトルは極めて特権的な文章なのだ。だから、タイトルの時点でもう小説は読者に向かって踏み出していなくてはならないのです。なるべく強い言葉が良い。例を挙げると、「人のセックスを笑うな」なんてのはすごく良いタイトルだと思う。セックスという強い言葉に、命令形という強い文章。素晴らしいコンビネーション。僕はこの小説を読んだことがありますが、正直本文よりもタイトルの方がずっと面白い。
最近読んだ小説で一番タイトルが素晴らしかったのは、アルフレッド・ベスターの「虎よ!虎よ!」 ( TIGER! TIGER!)です。
すごく熱い。すごく速い。50年以上前のSF小説なのだが、2008年という未来世界においても、全くその価値を減じることのない最高のタイトルである。ちょっとこれ以上のタイトルは考えられない。訳者あとがきによると、もともとのタイトルは The Stars My Destination というらしいのだが、タイガータイガーにして大正解だったと思う。これが50年前ってんだからなあ。
虎よ!虎よ!は例外としても、昔の小説は、たとえ世界文学と呼ばれるようなレベルのものであっても、タイトルはイマイチなものが多い。例えば、「カラマーゾフの兄弟」。確かに、読んでみるとすごく面白い小説なのだが、このタイトルではなかなか読もうという気が起こらない。そこで僕がセンスのないドスト・F・スキー*2さんに代わって、新タイトルを考えてあげることにしました。
新タイトル:「兄よ!兄よ!」(брат!брат!)
どうです。格好いいでしょう。

*1:どうやら僕は、同じ法則が、ブログにはより強く働くということに、まるで気がついていなかったらしい

*2:ドストエフスキーAのかつての相棒