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もちろん、加護ちゃんは悪くない。けれど…

http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20080324#p1
もちろん、加護ちゃんは悪くない。加護ちゃんが一体何をしたと言うのだろう?彼女はただ、人間がすることをしただけだ。鈴木紗里菜の擁護は完全に正しかった。僕は、ブービーマジック以来、ずいぶん久しぶりに、鈴木紗里菜のことを見直すつもりになった。加護ちゃんが責められる筋合いなんて、どの方面からだってありえないのだし、たとえ喫煙が加護ちゃんの罪だとしても、年端のいかない少女によってたかって石つぶてを投げつけつづけた連中の醜さを前にすれば、そんなものは無罪モラトリアムだと言い切ってしまってかまわない。けれど……。けれど、僕は思う。加護ちゃんが悪くないのなら、責められるべきなのは誰なのだろうと。責められるべきは、加護ちゃんを見捨ててしまった僕たちなのだろうか?
 僕は、違うと思う。僕たちは、加護ちゃんを倫理的に許せなかったわけじゃないからだ。僕らはただ、過ちの犯した加護ちゃんに恋しつづけることができなかったからなのだ。たしかに、僕らは加護ちゃんを許すべきだった。そう言うことはできる。しかし、僕らは加護ちゃんに恋しつづけるべきだったなどと、誰にも言うことはできない。あらゆる恋は、「べき」などいう重苦しい助動詞によって行われるものではないからだ。
 恋する子が、煙草を吸ったくらいのことで幻滅してしまうだなんて、それこそ器量の狭い話じゃないか。そう考える人もいるかもしれない。しかし、そもそも、アイドルに対する恋心とはそういうものなのだ。アイドルは、清く正しく美しく、うんこもしない。誰もを愛するが、誰にも恋しない。決して過ちを犯さない。もちろん、そんな人間はどこにもいない。病人の夢想である。しかし、アイドルとは、その、ありえない人間で「あろう」という、意思のことを言うのではなかったか。病人の夢想を再演しようと試みる、肉体のことを言うのではなかったか。そう、たとえどんな木っ端アイドルであっても……B級・C級・地下アイドルであっても。アイドルと名のつく限り、彼女たちは超人への梯子を登ろうとする英雄なのだ。もちろん、それはあまりにも過酷な道程である。歴史上、いかなるアイドルも、その梯子を登りきることはできなかった。マイケル・ジャクソンブリトニー・スピアーズのように、あまりにも梯子を高く登りすぎて降りられなくなってしまったものたちもいる。カート・コバーンや、シド・ビシャス、数多くのロックミュージシャンのように、自ら梯子から飛び降りてしまったものたちもいる。そして、もちろん、加護亜衣のように、スキャンダルによって梯子から転がり落ちてしまったものもいる。
 梯子から落ちてしまった加護ちゃん。アイドルでは、なくなってしまった加護ちゃん。僕たちにはもう、アイドルに恋するように、加護ちゃんに恋することはできない。けれど、僕は思うのだ。僕たちが加護ちゃんにかける言葉が、悪罵などであっていいはずがない。超人になろうとして失敗した人間を、超人になろうともしなかった僕たちに責められるはずがない。もちろん、加護ちゃんをかけるべき言葉は「さよなら」でもない。「おつかれさま」も違う。僕らはただ、こう言えばよかったのだ。おかえりなさい、と。おかえりなさい加護ちゃん。うんこする人間の世界に。過ちを犯す人間の世界に。

追記

そんなことを考えているあいだに、加護亜衣芸能界復帰のニュースが飛び込んできてしまった。
http://biscuitclub.fc.yahoo.co.jp/
おかげで、上記の文章は書かれる前からすっかり古びてしまった。聞くところによると、今回の復帰は、アイドルとしてではなく、女優としての復帰であるらしい。正解だと思う。アイドルの梯子は登り直すことのできない性質のものだからだ。それに、もともと加護ちゃんは、顔だけ見ればそれほど可愛いというわけではなかったし。これからは、女優という道を極めてもらいたい。加護ちゃんはまだようやくのぼりはじめたばかりだからな、このはてしなく遠い女優坂をよ……

追記の追記

加護ちゃんへの失われた愛を切々と書き記したつもりのこのエントリだけど、そもそも加護ちゃんの名前を間違っている時点で、説得力の大半を失ってしまっている。加護ちゃんは、加護亜衣ではなく加護亜依だし。ついでに言うなら鈴木紗里菜だって鈴木紗里奈なのである。しかし、だからといって、どうか僕の愛を疑わないで頂きたい。僕が思うに、あまりにも好きな気持ちが強すぎて、かえって名前を間違えて覚えてしまうということは、この愛の世界においては十分に考えられることだ。何というのかな、僕のためだけの名前というかさ。とにかくそういうことなんだよね。