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大統領と握手

決闘

 もう、ずいぶんと昔の話になってしまうのだが、僕は大統領と握手をしたことがある。大統領と言えば、もちろんそれはアメリカ合衆国大統領にほかならない。これはたまたまトイざラスで買い物中の大統領に出くわした……とかいうわけではない。2000年に開催された九州沖縄サミットの際、当時のアメリカ合衆国大統領ビル・クリントン糸満平和記念公園沖縄県民に向けて演説をする、というイベントがあったのだ。演説終了後には、大統領と地元の高校生たちが友好的に握手を交わす、という場面があらかじめ用意されており、当時まだ沖縄の高校生だった僕も、握手用のモブとして選ばれたのだった。僕は当時、料金以下のマズイめしを食わせるレストランでさえも気前よくおかわりをオーダーしてしまうような、いわゆる優等生のレッテルをはられた存在であったから、こうした役割にはうってつけだったのだろう。最初のうち、僕はこのことについてとくに何も考えていなかった。思春期の少年は何かと思い悩むことで忙しく、大統領との握手ごときは大したイベントにはなりえなかったのである。
 しかし、大統領との握手が迫るに連れて、やはり僕はだんだんと思い悩むようになった。僕は、握手などするべきではないのではないか。そう考えるようになったのである。被征服民である沖縄人が征服者であるアメリカ合衆国大統領と笑顔で握手を交わす。それを屈辱的なことだと感じたのかもしれない。戦後の沖縄にばら撒かれた幾つもの矛盾を、沖縄人自身が*1受け入れてしまっていることを世界に示してしまうことが怖かったのかもしれない。どれも正しいような気もするし、どれもあたっていないような気もする。
 高校生握手部隊が召集されたのは演説の前日だったから、物事を深く考える時間もなく、おれなんか混乱してんなーと思ったときにはもう大統領が喋り出していた。演説は沖縄のマニアックな歴史を引用したハイレベルなものだったが、僕はそんなものほとんど聞いちゃないなかった。頭の中では、握手するべきか否か問題が更なる進化を遂げ、握手なんかじゃない、おれしかできねー何かがあるんじゃないかという妄念になっていたのである。握手ができる間合い。それは手を触れることができる間合いということで、それはつまり拳がヒットする間合いでもあるのだ。
 まさかのテロ発想に自分でも驚いた。もちろん、会場に入る前には、厳重なボディチェックを受けているため、テロができるような武器は何一つ持ち込めない。しかし、握手をするために呼ばれた人間から、手を取り上げてしまうことはできないのだし、握手のパーを握り締めれば瞬時に拳のグーになるのである。いち高校生が、世界のキングを殴りつける。そして伝説へ……。 しかし、僕の視線には屈強なSPたちが居た。駄目だ、こんなもん洒落じゃすまされねえ…。どう考えても即射殺である。それに、(ありえないことだが)仮にSPがいなかったとしても、やはり僕に大統領は殴れなかっただろう。そもそも、ノンポリの僕には、誰かを殴りつけたくなるほどの憎しみがあるわけではなかったのである。
 僕はうつむき、じっと手を見た。汗でじっとりと湿っていた。七月の強烈な太陽のせいで頭はふらつき、普段なら思いもつかないような発想が頭の中を暴れまわっていた。僕は大統領を殴ることができる。僕は大統領に中指を突き立てることができる。できる・できる・できる。僕は、何だってできる。そうして、日射病は僕に再び新たなる革命的なアイデアを与えてしまったのだ。
 大統領の手を「つねる」これだと思った。というか、これしかないと思った。頭によぎりはしたものの、パンチもファックも僕の趣味ではないし、あまり愉快なものでもない。そうするだけの確かな理由も、僕の中にはなかった。しかし、つねるのはどうだろうか。いち高校生が、世界のキングの手をつねりあげる。これはありなんじゃないか。これは面白いんじゃないか。万が一、大統領がアウチ!なんて叫んだとしたら、ほんとうに最高じゃないか。大統領も、手をつねられたくらいで本気で怒るわけにはいかないだろう。誰だって、大人気ないやつだとは思われたくはない。その一方で、おれたちは大統領の手をつねることだってできるんだぜ、なんてことを世界に示すことができるのである。完璧な計画!
 そこまで思いついた僕の目の前には、すでに演説を終えた大統領がいた。近い。すごく近い。僕は周りの空気に流されるようにして、大統領の手を握ってしまっていた。多少がさついてはいたものの、それはただの人間の手だった。そんなことだけが意識の中で言葉になった。僕の頭の中を満たしていたはずの最高のアイデアたちはもう、影もなかった。僕は何一つ間違ったことはしていないはずなのだけど、どういうわけかひどく気がふさいでしまい、それからしばらくの間、ごはんをおかわりすることさえできなかった。

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*1:それも18歳の