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みんな嘘つきだ

意見

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「ポジティブ」という単語を聴くだけで、つい身構えてしまう。やはり僕は、その言葉にどうしようもなく暗いものを嗅ぎ取ってしまっていて、そこに自らがとらわれてしまうことを恐れているのだろう。「わたしはポジティブ人間ですよ!」という言葉からは、(ほんとうは世界は美しくも楽しくもないものだけど)わたしは世界を美しく楽しいものだと規定しますよ!という悲壮な覚悟が響いてくる。ああ、この人は、この世界を信じてはいないのだな。そんな風に、僕は感じてしまう。もちろん、それはポジティブだけの問題ではない。話をひっくり返してしまえば、「わたしはネガティブ人間ですよ!」という言葉には、(ほんとうはこの世界は私が思っているほど悪くはないはずだ)という無根拠な甘えが漂っているはずなのだ。
 ポジティブにせよ、ネガティブにせよ、「あえてこう見る」「あえてこう感じる」なメタ野郎ばかりで、くもりなきまなこで物を見ようというアシタカ・シンキングが欠けているように思う。そんな絶望の底にあるのは、上半身で例えるならガラス越しのキス、下半身で例えるならゴム越しのセックスのようなもので、つまるところ、我々がほんとうに誰かと抱き合うことなど永遠に不可能なのではないかという諦念でしかないのだ。
しかし、そのような僕の考えも、結局のところ、自分の頭蓋骨から一歩も外に出たことのないものの空論でしかない。我々の認識の向こう側に、解釈を超えた真の世界があるなんてことは、古代ギリシャの段階ですでに時代遅れな代物だっただろうし、佐木飛朗斗も真っ青な”スピードの向こう側”な幻想でしかないのかもしれない。我々がかき抱こうとする「誰か」など、常に幻なのだ、と言われてしまえば、さすがの僕も渋々ながら頷かざるを得ない。

あばたにえくぼのたとえもあるさ 認識だけが現実だ