ひとりでいい、と言って欲しかった

 いじめ。学級崩壊。人類が21世紀を迎えてもう何年も経つというのに、教育現場では僕の子供時代と何ら変わることの無い問題が繰りかえされ続けているようだ。この辺りの問題は、単に教育問題というよりも、人類全体がずっと抱えてきた病気みたいなもんだから、さすがに一発で解決する方策を見出すのは難しいだろうと思う。ただ、少なくとも日本の学校教育においては、これらの諸問題を軽減する方法はあるのじゃないかと思う。それは子供たちに、ひとりぼっちでいることを許してあげることだ。

 子供のころの僕にとって、学校を嫌いになる理由なんて無数にあったけれど、その中でも最も大きなもののひとつは、学校の中では、孤独が禁止されているということだった。構造として、制度として、学校はそういう風に作られている。学校の中で、ひとりぼっちでいると、ほんとうにみじめで寂しい思いをすることになる。大人になってから分かったことだけど、そのとき感じた感情は、僕のほんとうの気持ちではなかった。ひとりが辛い、という気持ちは学校というシステムが僕にそう感じさせていることでしかなかったのだ。

 ひとりで本を読む。ひとりで音楽を聴く。ひとりで街を歩く。実際にやってみると、全然さびしいことなんかじゃない。全然みじめなことなんかじゃない。学校の中にいると、そうした当然のこともわからなくなってしまう。ひとりでいることが、まるでとんでもない罪であるかののように感じられるようになってしまうのだ。子供は皆、それを恐れる。嫌いな人間と友達の振りをしたりしなきゃいけなくなる。嫌いな人間と友達でいるために、共通の敵をでっちあげなきゃならなくなったりもする。そういった処世術は大人の専売特許のような気がするけど、実は子供の方がそれをより強く要求されているのだ。
そりゃあ、大人にだって、同じようなことはいくらでもあるけれど、それでも大人は他人と他人のままつきあうことが許されているのだから、楽なもんだ。子供時代には、他人という関係性が乏しすぎる。これも、大人になってから学んだことだった。友達を作らなくてもいい、ひとりでもいい。そんな言葉があるだけで、救われる子供がきっといる。それは多分、決して少ない数ではないだろうと思う。
 何かの拍子で、休み時間をずっと水飲み場で過ごしているような中学生がこの日記を見つけてしまうかもしれないから、とりあえず言っておこうと思うんだけど、学校なんて、ほんとに奇妙で特殊な空間でしかないよ。おかしな論理が平然とまかり通っている。教師なんてみんな馬鹿だと思ってかまわない。もちろん、このヨーグルト先生のことも、救いがたい馬鹿野郎だと思ってくれてかまわない。10年くらい経つと、ほんとうに馬鹿だった教師と、ほんとうは馬鹿じゃなかった教師の区別がつくようになるはずだから。はたして、飲むヨーグルト先生はどちらなのか? この文章は信用してもいいものだろうか? 10年後の君には、きっとわかっているはずだよ。<飲むヨーグルト先生・談>

参考・飲むヨーグルト先生の授業

一時間目・性教育
二時間目・理科

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