本を読むと不幸になる

今はどうだか知らないけれど、ぼくが幼かったころの大人たちは、みな子供に本を読ませようとしていた。それも、実用書なんかじゃなく、物語の類をだ。物語に触れることは子供の情操教育にとっていいことだ。そんな出鱈目が、どうやら本気で信じられていたらしい。とんでもないことだ。大体、田舎の大人なんて、がんばってもせいぜい文藝春秋くらいしか読みやしない*1のだから、読書がどれほど人生に悪影響を与えるものか、本気で考えてなんていないのだ。そうして、嫌がる子供の脳内に、無理矢理活字をねじこんでゆく。なんとも腐りきったペド根性である。*2どうしていたいけな子供に対して、そんな可哀想なことができるのか。ぼくにはとても信じられない。ぼくの次兄イワンは、子供の涙で贖われる世界になど価値はない、なんてことをいっつも言い続けていたけれど、いまやぼくも全く同じ気持ちである。この際だから、volをmaxにして言っておきたいことがある。
本を読むと不幸になる。
 医学的根拠はない。だが、ボクサーならわかる。例えあなたがボクサーでなくとも、ちょっと周りを見渡してみればわかるはずだ。グラウンドをホームにしていた鈴木くん、図書室をアジトにしていた田中くん、果たしてどちらがより充実した人生を送っていただろうか?まあ、いちいち思い出すまでもないだろう。
 もし、あなたが大学生なら、文芸系のサークルをちょっと覗いてみるといい。妙に病んだ雰囲気を持った人がごろごろしていることに気づくはずだ。薬物やリストカットに依存している確率が異様に高い。サ館を歩けばメンヘルにあたるとはよく言ったものである。これは明らかに読書の弊害だろう。
 そんなことないよ、私は本好きだけど超ハッピーだよ、そんなことを仰る方もいるだろう。確かに、インターネットで見かける読書家の人々は、どういうわけだか人生を楽しく謳歌する素敵な人が多い。スケートボードターンテーブルを両脇に抱え*3、夜な夜なパーチーに出かけてゆく。それでいて、小説も超かっこいいのを読んでいて、哲学だって嗜んでいたりする。そんなイメージだ。たしかに、彼らのように生きられるのなら、本くらい読んでもいいかもしれない。けれどやはり、彼らの生活を真似するのは、簡単なことではない。大部分の人間は、もっと簡単に物語の毒にあてられてしまう。
 かくいうぼくも、そのひとりだ。はてなではともかくとしても*4、ぼくは田舎の子供にしてはそこそこに読書家であった。あんな田舎町で、ズッコケ三人組の株式会社を愛読していたのだから、これはもう立派なインテリである。そこでやめておればよかった。ところが、ぼくはそれからも、物語を過剰摂取*5することをやめられなかった。中毒である。根気がないせいで、知性的な内容の本が読めないのが不幸中の幸い、これがぼくに人並み程度の根気と知性があれば、僕はいまごろ完全に廃人となっていたことだろう。
 やがて、僕は自分自身の人生にも物語を強く求めるようになり、もちろん果たせず、膨れ上がった希望に押しつぶされそうになりながら、今日もようやっとの思いで生きていくことになる。みじめで辛い話だ。ああ、いけない、しんみりさせてしまったね。ぼくの話はこれくらいでいいだろう。
 ともかく、子供に本を読ませることに、ぼくは絶対反対なのである。僕は父親になったとしても、子供に本なんて買ってやらない。子供は子供らしく外で遊べという。僕は家で優雅に読書を楽しんでいるから、おまえは壁に向かってボールでも投げていろといってやる。それがおれたち親子のキャッチボールなのだといってやる。
 最近、といってももう流行りは廃れてしまっただろうか、彼女にアニメを10本勧めるだのなんだ言っている輩がいるようだが、いい加減にしろといいたい。小説でもアニメでも問題は大して変わらない。君は、愛する人を不幸に陥れて楽しいのか。猛省を促したい。最後に、書くかどうかすごく迷ったんだけど、本を読むから不幸になるんじゃなくて、不幸だから本を読むことくらいしかできないって可能性があって、たまごクラブが先かひよこクラブが先かって問題になるんだけど、ともかくぼくは猛省を促したい。

*1:とはいえ、これでも田舎では立派な知識人だ

*2:全然関係ないんだけど、こないだ崖の上のポニョ観に行ったよ。超面白かった。

*3:重さなんてへっちゃらな辺りが、また格好いいところだ

*4:読書家が多すぎる!

*5:本来、一年でひとつの物語くらいが、消費のペースとしては適当なんじゃないか