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[教育][主張]本を読むと(もちろん)幸福になる!

 みなさん、こんにちは。野村・妖導師人です。『本を読むと不幸になる』と題した先日のエントリには、みなさまから多くのご批判ブクマ、トラックバックを頂きました。実をいうと、エントリをあげた直後は、どうしてこんなに伝わらないのかよブクマという名の晒し者…などと孫っていたのですが、冷静になって自分のエントリを振り返ってみれば、たしかに多くの問題が含まれていることに気がつかざるをえませんでした。まず、この文章。

あんな田舎町で、ズッコケ三人組の株式会社を愛読していたのだから、これはもう立派なインテリである。

とんでもないことに、あの傑作の題名を間違えているのですね。正しくは『うわさのズッコケ株式会社 』です。いやこれ、書いてる時点で間違っているんだろうな、っていう予感はあったんです。それなのに、ぼくはgoogleにお伺いを立てることを怠り、360°をファミコンと呼ぶが如きミスを犯してしまった。それに加えて、この文章。

たまごクラブが先かひよこクラブが先かって問題になるんだけど、ともかくぼくは猛省を促したい。

これ、どうやら『卵が先か鶏が先か』って問題*1を面白く言おうとして失敗したみたい。そもそも鶏は卵を産むけど、ひよこは卵を産まない*2ので、話が矛盾になっておらず、完全に破綻してしまっているのだ。

 もちろん、あのエントリでぼくが犯した過ちはこれだけに留まるものではありません。一番の問題点、『本を読むと不幸になる』という主張の是非―この件に関しても、どうやらぼくは間違っていたようです。批判ブクマやトラックバックを送って下さった皆さんの、あまりにも真っ直ぐな読書への愛を前にして、頑迷なぼくもようやく真実に気がつくことができました。
 これまでのぼくは、行間などいうありもしない妄想にとらわれ、文章を不当に歪んだ形で読み取っていたようです。文字だけを、文字の示す直接的な意味だけをまっすぐに信じぬく、そうした態度をぼくは今回の批判から学ばせて頂きました。なるほど確かに、彼らは幸福を謳歌しているようです。物事の、一番はっきりとした形のみを信じぬく。文章という、ある程度明瞭な形式をとったコミュニケーションにおいてさえ、そうすることができるのだから、人生という、真意の多くが非言語的な領域に伏せられてしまう状況において、彼らが幸福を享受していることは、もはや疑いようがないのです。
 ぼくの眼には、彼らは全く新時代の詩人のように写る。きっと、今までぼくが『読むと不幸になる』と思いながら読んできた本からも、彼らは幸福になるためのヒントを見つけてゆくのでしょう。僕が岩陰に潜む毒蛇のことを考えているときも、彼らはきっと毒蛇のことなど気がつきもしないまま踏み潰していく。そうした新世代のエネルギーを見せ付けられて。ぼくは、子供に本を読ませてもいいかなあ、なんて風に考え直すのでした。

*1:鶏が先に決まってるよなあ!

*2:まあ、最近のひよこはどうか知りませんけどねー