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メイド喫茶なんていらない

 ちょっと言い過ぎてしまったかもしれません。もちろん、メイド喫茶を心底必要としている人が、この社会にいないわけではないでしょう。それでも、メイド喫茶なんていらない。とりあえずこう言い切ってしまいたくなるほど、現代日本におけるメイドの供給は過剰なのです。どう考えても、これほど多くの人間がメイドとご主人様という関係性を欲しているはずがないのです。だって、これ、かなり特殊な妄想ですよ。相手はメイドだよ。女中だよ? そんでもって自分は貴族だって。無理がありすぎる……。もちろん、僕だってブロガーの端くれです。想像力は常に現実を上回ると信じています。信じてはいますが……。僕はどうしても、こう疑ってしまうのです。みんな、ほんとうにちゃんとメイドに対して想像力を働かせているのか? 流行っているから、何となくメイドなんじゃないのか?
 こんなことを書くと、メイド喫茶好きを怒らせてしまうかもしれません。だがちょっと待ってほしい。僕だって、メイド系のサービスを利用したことがないわけではないのです。ちゃんとメイド居酒屋にいって、そのうえでこんな文章を書いているのです。僕は、地方都市の小汚い雑居ビルでつつましく営業しているようなメイド居酒屋に、のこのこと出掛けてしまったことがあるんです!! 
 そこで、化粧の濃いメイドにご主人様と呼ばれたとき、僕の心にやってきたのは、限りなく悲しみに近い感情でした……。実際には奴隷に過ぎない人間たちが、端金でメイドを雇い、貴族ごっこに興じる……。これほどみじめな光景があるでしょうか? やりきれない思いから逃れるため、僕はウォトカを飲み続けました。流れ落ちた涙がグラスをつたい、ウォトカはたちまちソルティドックとなってゆく。これほど悲しい酒を呑んだことは、ありませんでした。
 もちろん、メイド居酒屋が悪かったのではないのでしょう。メイドに対して何の物語を思い浮かばないくせに、興味本位でメイドに近づいた僕が馬鹿だったのです。しかし、と僕は思うのです。仮に世の中がこれほどメイドまみれではなく、もっと各人の妄想にこたえた喫茶を用意してくれていたなら、果たして我々はメイド喫茶に通っていたでしょうか。あなただって、心の底では魔女喫茶や山姥カフェにこそ行きたいと望んでいるのに、世の中に『自分はメイド萌えだ』なんて思い込まされて、仕方なくご主人様と呼ばれているのではないでしょうか? 僕は思う。メイドという妄想はレベルが高すぎる。本来、誰もが楽しむことができるような、カジュアルな妄想ではないのです。超ニッチな、変態的な欲望なのです。凡人レベルの想像力しかない我々にとって、貴族とメイド、なんてシチュエーションは妄想距離が遠すぎる。我々は、もっと地に足をつけた妄想を楽しむべきなのです。もちろん、メイド喫茶があっても構いません。構いませんが、それがスタンダードであるという現状は明らかにおかしい。その歪みを是正するべく、僕は新しい喫茶のかたちを提案します! 
 文化祭喫茶喫茶!
 これが新しい喫茶のスタンダードです。説明します。文化祭喫茶喫茶とは、その名の通り、文化祭喫茶を再現した喫茶です。文化祭喫茶、よくありますね、やる気のないクラスがやりがちな埋め草企画です。しかし、学生を離れて何年も経つと、そういった「だるさ」さえも懐かしく、愛しく感じされるもの…。そうした郷愁を完全再現する。それが「文化祭喫茶喫茶」の目的なのです。
 例えば、店に入ったあなたは、ジャージ姿の女子に「ちょっと男子! さぼってばかりいないで、ちょっとは手伝ってよね!」と声をかけられるかもしれない。これが文化祭喫茶喫茶です。どうですか? 想像しただけで、懐かしさで胸が震えてはきませんか。もちろん、実際の学園生活には、そんなヒトコマはなかったかもしれません。しかし、それはありえたかもしれない過去……。1ミリちょっとの想像力で届くような、そんなささやかな夢想です。しかし、どうしょうか。そうした微かな妄想こそ、我々が真に必要としているものではないでしょうか? 僕たちは貴族じゃない。君たちはメイドなんかじゃない。みんな同級生なんだ―。




追記

とはいえ、最近ではメイド喫茶も細分化が進み、パジャマ喫茶なんてものも登場してきているようですね。大変素晴らしい傾向だと思います。パジャマ喫茶…。僕の想像では、ランク王国のような場所なのですが、実際はどうなのでしょうか。僕はパジャマパーティを超える淫語はこの世に無いと信じ込んでいるため、否が応にも期待してしまいます。