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そのメイド喫茶、嘘だからこそ価値がある

考えた

 どうやら僕はメイド喫茶というものを完全に勘違いしていたようです。僕は前回のエントリで、メイドは性的ファンタジーとしては特殊すぎる。一盗二婢なんてオッサンの戯言だ。そんな風に主張していたんだけど、これはもう前提からしてズれていたのです。
 今になってようやく、そのことを了解することができました。そもそも、メイドとは性的ファンタジーではなかった。あれは、ただの識別記号だったのです。
 識別記号とは、どういうことか。それはさておき、実は先日、秋葉原に行く機会があったのですが、そこで僕はある奇妙な光景を眼にしました。美しいメイドが駅前で客引きをしているのです。まあ、それ自体はさして珍しいことではないでしょう。問題は、その美しいメイドが全く通行人の歓心を買うことができていない、ということです。あまりにもシカトされるので、彼女はほとんど膨れっ面でチラシを配っていました。
 一方、同じ場所で、それほど美しくないメイドも客引きをしていたのですが、彼女の方は大人気。ちょっとした人だかりが出来ていたほどです。美しくないメイドの所作は、遠目で見てもはっきりとわかるほど、オタク的なオーバーアクションに満ちたものでした。僕は、駅前のこうした状況を目の当たりにして、危うくエウレカ!と叫び出すところでした。この秋葉原駅前には、メイド喫茶を巡る欲望の、真の姿が立ちあらわれている。ありがとう、美しいメイド。美しくないメイド。僕は、君たちのおかげで真理に近づくことができました。
 真理とは何か。真理とは……客がメイドに求めているのは、きらびやかなメイド服でも、可愛らしい肩甲骨でもなく、ただ単純に「オタク的コミュニケーション」であるということです。
 メイド服は、僕が当初想像していたような、性的なファンタジーの補強ではありませんでした。かといって、それは単純な装飾ではなく、オタク的コミュニケーションを理解する、許容する、場合によっては自らも行使するよ、という、一種の表明なのです。そのような表明に、「同じ価値観を共有した女の子とコミュニケーションがとれる」という欲望が反応する。
  「ご主人様」という呼びかけに期待されるのは、別段「ご主人様とメイド」という性的ファンタジーに基づく関係性ではない。求められているのは、もっと素朴な関係性です。それは、どんな関係性でもあってもよいのです。ただ「無関係」という関係性でさえなければ。
 「ご主人様」という呼びかけは、もちろん演技に過ぎないものですが、たとえ演技であっても、これは都市に溢れているような匿名的なコミュニケーションではないんだ、何か我々の間には特別な関係性が発生しているんだ、という実感をもたらしてくれます。そこにあるのは、おれは貴族だ、大公爵様なんだぞ、というような肥大した妄想ではなくて、もっと現実的で、身の蓋も無い欲望です。

先日のエントリに頂いたブクマコメントに、メイド喫茶とキャバクラの類似を指摘するものがありました。

id:te2u タイトル見てメイド喫茶を全否定するかと思ったのだが、実はメイドの過剰供給と喫茶店の多様化の話。/メイド喫茶って、キャバクラの一種だと思っている。

id:ysk_lucky-star なんかレイヤーが違う気がする。メイド喫茶の需要ってキャバクラに似てると思う(営業形態じゃなくて需要の形容が、って意味)。流行なのはともかく、重要なのは”メイド(コスプレ)”であるところだと思う

id:Delete_All 僕の人生からメイドとキャバクラを取り除いたらたぶんオッパイしか残らないな…。

 僕は今まで一回しかキャバクラに行ったことがなく、その一回も、残念ながらウォトカな体験になってしまったので、キャバクラについても想像で物を言うしかないのですが、キャバクラに通う客も、そのほとんどが本気でキャバクラ嬢を口説こうとなどは考えていないのではないでしょうか。もちろん、そこに「あわよくばセックス」というかすかな欲望は内包されているのでしょうが、欲望の発散を目的としてキャバクラに通うというよりもむしろ、客はそうした欲望を前提とした女の子とのコミュニケーションを目的としているように思えるのです。
 
 問題は、従来のキャバクラで用いられるコミュニケーションの流儀が、あまりにもエネルギッシュであること。漫画で言えば、ヤングマガジン通称ヤンマガです。普段、アワーズやら電撃大王やらを好んで読みふけっているようなオタクにとっては全然楽しい場所ではないのです。これはオタク以外の人種についてもあてはまることで、サブカルキャバクラ待望論なども、こうした問題を踏まえて登場した意見かと思われます。
 そのような状況を鑑みれば、マイノリティ*1のコミュニケーション欲求を解消するための風俗としてのメイド喫茶は、平成バベル的孤独*2に応えた先駆的な産業である、そう評価することもできるでしょう。
 もちろん、『金でコミュニケーションを買うのかよ、この資本主義の豚が!』とか『異なる種類の人間から逃げ回ってばかりいて、何がコミュニケーションか!』だとかといったような批判も可能でしょう。しかし、それはこの社会全体の構造にまつわる問題であり、メイド喫茶ばかりにその切っ先を突きつけるのはいささか酷なものではないかと僕は思います。
 確かに、メイド喫茶で手に入るコミュニケーションはおそらくフェイクでしょう。しかし、美味しんぼがどれだけ養殖物の魚介類をディスろうとも、安価に手に入る養殖物が庶民の生活を支えているという事実を覆すことができないように、たとえフェイクでもあっても、それがあることによって救われる人間がいるのならば、その価値を一概に否定できるものではないでしょう。山岡が雄山と和解したって、僕は絶対にあんな爺さん認めませんよ!
 そもそも、我々が日々行っている、ごく普通のコミュニケーションにしたところで、とっくの昔に何かのフェイクであることは明らかなのですから、リアル/フェイクという二分法にさほど意味があるとは思えません。
 そうした意味では、あのいかにもニセモノくさいメイド服は、見た目からしてそれが何かの表層的なコピーに過ぎないことを見事に示していると言えます。三日前の僕は、そんなことにも全く気がつかず、メイドなんてリアリティがない!これからはジャージ喫茶だ!と吹き上がっていました。間違っていました。メイド喫茶は、ウソ臭さにこそ価値があったのです…!

*1:オタクをマイノリティと呼べるか否か、という問題はありますが

*2:文化によってあらゆる人間が隔てられてしまった現代的状況を指す語。バベルをバブルに引っ掛けてある。どうしてこんな恥ずかしいことを書いてしまったのか。ほんとうに恥ずかしいよ…