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親の愛が社会をガチガチにする

 だいたいね、もう21世紀になって何年もたっているんだからさ、その辺のおっさんやおばさんだって、それは相当に自由な考え方を身に付けているはずなのである。はるな愛椿姫彩菜といったような人々がお茶の間の人気者になるような時代だ。そうじゃなくっちゃ嘘だろう*1
 隣人がどのような生き方を選択していても、いちいち口を騒ぐような必要はないし、法律や制度だってもっと様々な人たちの権利を認めていくように変えてしまって構わない。そのように考える人は、20年前よりもずっと多くなっているはずだ。にも関わらず、僕らの暮らすこの社会は、まだそれほど自由なものにはなっていない。最近、また、息苦しさが増してきているような気さえするほどだ。それは何でよって話しよ。ひとりひとりは、自由な考え方をもっているはずなのに、何で社会は自由でないのって話よ。
 結局のところ、それは未だ僕たちがそれほど自由ではないからなのだと思う。といっても、全然自由でないかと言えばそんなこともなくて、僕たちは、隣人や、僕たち自身については、いまや相当に自由なのだろう。たとえば、僕が友人に対して、「どんな生き方をしていようと、友だちは友だちだ」と言うことはできる。自分自身の、社会一般の枠組みから外れてしまった部分について認めることも、決して簡単なことではないだろうが、おそらくはできる。
 難しいのは、自分の子供に対して、同じことを言ってやれるか、ということだと思う。昔、「ひとりでいい、と言ってほしかった」というエントリを書いたことがあったけれど、あのときは子供の視点に立っていたから「ひとりでいい、と言ってほしかった」なんて物言いをすることができた。確かに、僕は「ひとりでいい、と言ってほしかった」けれど、自分が、子供に対して「ひとりでいい」と言ってやれるかというと、全くもって自信がない。一歩間違えると、みんなと同じことを楽しみみんなと同じことを考えるような子供、子供らしい子供に育ってほしいとさえ思うかもしれない。「男の子なんだから、こうしなさい」とか「女の子なんだから、ああしなさい」とかそんなことさえ口走ってしまうかもしれない。
 僕はきっと、「自らの価値判断でそのようなことを言うのではない」と自らに対して弁明するだろう。人間はみな自由だ、しかし自由に生きることはリスクが高い、子供にはそんな想いをしてほしくない。これは単純に損得勘定の話なんだ、と。僕の言いそうなことなど僕にはすぐに想像がつく。全くもって退屈な物言いだが、僕はきっと真剣にそのような言い訳を重ねていくのだろう。人と違う生き方は、それだけ苦労も多くなる。自分自身がそれを選択することはできても、子供にはそれを負わせたくはない。そもそもそのような選択自体をさせたくない。何の疑問も持たず大人になって、ごく普通の家庭を築いて、孫の顔を見せて欲しい。
 そうした考え方が、社会をガチガチのまま保っている最も大きな力だ*2。子供に対して期待する事柄は、未来に対して期待する事柄とイコールだからだ。子供に、ごく普通に育って欲しいと思うことは、社会がごく普通のままであり続けて欲しいと願うことだからだ。*3そのような考え方を抱いてしまう僕こそが、どんな差別主義者よりも強大な抵抗勢力なのだ、ということは分かっている。今のところ子供をつくる予定もできる予定もとくにないのだけど、もし僕が人の親になったとしても、このままでは子供に新しい社会をプレゼントしてあげられそうもない。

*1:この辺り、僕の考えが甘すぎるような気がするし、実際に日常で出会う人間はけっこうバリバリの差別主義者ばかりだったりもするんだけど、まあ、もう21世紀になって10年にはなるんだから、人類に対して、これくらいのことは期待したいし、自分自身についてもそうであることを要求していきたいと思っている

*2:でも実際、親から妙な思想を押し付けられて困っている子供もいるんだろうしなあ……普通の家庭を与えてあげたいと思っちゃうんだよな

*3:言うまでもなく、そうした「普通」からは、多くのものが切り捨てられている