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消えた野良犬

 上京してもう何年にもなる。東京では、ただの一匹も野良犬を見たことがない。おれはこのことをわりと重大に受け止めていて、さすがは大東京だ、犬畜生に生きる余地など残しはしないぜ、などと考えていたのだが、慎重に記憶を辿ってみれば、東京から遠く離れた故郷の村でさえも、ここ十年ほどは野良犬を全く見ていないのだ。
 今からずっと前、おれがまだガキの時分には、村には沢山の野良犬がいた。おれの家の近所にも一匹の雌犬が暮らしていたのを覚えている。彼女はどちらかといえば醜かったが、とても大人しく、賢い犬だったので、近隣のガキどもにはわりと愛されていたように思う。
 おれは彼女の足音を聴くのが好きだった。人間に比べればはるかに小さな彼女の足がアスファルトを叩き、とっとったっ、とリズミカルに音をたてるのを聴くと、何とも言えないような気分になったものだ。当時のおれは、どういうわけだか、足音をたてる動物は人間だけだと思い込んでいたようなふしがあって、犬が足音をたてるということが何度聴いても不思議でならなかったのだ。
 その野良犬は毎年のように、仔犬をポコポコと産んだ。そのほとんどはすぐに死んだ。そして、次の年になると、彼女はまたポコポコと仔犬を産んだ。仔犬たちの毛色や顔立ちは、一匹ごとにみな違っていたが、すぐに死んでしまうというところだけは共通していた。仔犬たちのなかでも、ほんとうに運の良いものは、近所の家に引き取られていったが、そのような幸運な仔犬は、あの野良犬の血統の中でもそう何匹もいなかったように思う。
 幼かったおれは、そうした営みをごく当然のようにとらえていて、次の年も、その次の年も、あの野良犬は子供を産み続けるのだろうと思っていたのだが、ある年、突然、彼女は消えてしまった。ある年、突然、なんて書いてはみたが、実際のところ、あの犬がいつ消えてしまったのかなんて、おれはまるで覚えちゃいない。正月に帰省した折、家族にあの野良犬のことを尋ねてみたが、やはり誰も彼女が消えたときのことを覚えていなかった。
 
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今では、故郷の村に野良犬は一匹もいない。