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もっと、食パンのようなブログを!

ブログ

雲のジュウザに憧れて生きてきたおれが、なんでサラリーマンなんかやってンだよ……!バカかよ……!だいたい、雲ってイメージほど自由じゃねエよ! 行先風向依存じゃねエかこの雲固野郎が!

 ちょっと前なら、上のような弱い内容でも、1エントリとして堂々とアップしていたんだよね。しかし、今はちょっと無理だろうなと思う。この程度の内容なら、twitterwassrに書けば? そんな批判を、日記を書く前から感じ取ってしまい、キーボードを打つ手が震えてしまうのだ。いや、もちろん、皆そんなことをわざわざ表立って言ったりはしないだろうとは思うよ。でも、かえってそのことによって、心の内では皆そう思っているのではないか……? という疑念を晴らすことはできなくなってしまったりもする。
 まあ、他人が何文字でエントリ書こうがどうでもいいっていうのが実際のところだろうけど、自分がブログを書く段になると、結構この辺のことを気にしているんじゃないかな。いや、全く裏はとっていないんだけど。周りのブロガーを見ても、最近はブログにあんまり取り留めの無いことを書かなくなってきている。ブログは作品みたいな書き方、作品っていったら大袈裟かもしれないけど、わりあい作りこんだ形で書いていて、日常雑記なんかはtwitterwassrで書くって使い分けが一般的になってきたような気がする。
 そのことによって、ブログの密度や熱量が増しているようなところも多いので、どちらかと言えば良い流れなんだろうなとは思うんだけど……少し寂しさを感じてしまうこともある。ブログ読者としての僕は、起伏の無い文章がだらだらと続いていって、特にオチもまとめもなく終わってしまうようなブログ「も」好きだからだ。ブログ中に散らかった表現のそこかしこから、自分とはまるで違う人間の生活が浮かび上がってくる瞬間の楽しさは、なかなか他で味わうことのできないものだ。僕はそのようなブログを”食パンのような”ブログと名づけ、愛している。
  というのも、食パンとかフランスパンだとかいったような、もさもさした食べ物を黙々と口に運び続けるのが僕はわりと好きで、上のあげたブログの読み味はそうしたパンの味に似ているような気がするからだ。全然伝わらない例えで申し訳ないけれど、最良の食パンブログが持つ、口の中が乾ききってすぐに牛乳を飲みたくなるような読み味は、そう簡単に出せるもんじゃない。
 そのような類の文章を、商業ベースの媒体で書くことは難しいだろうから、現状では食パンブログは、才能のある『素人』にしか書くことができない。真に貴重な文章なのだ。そうした才能が、短文としてtwitterwassrといったミニブログ界に散逸してしまっているのが、ブログ界の現状である。もちろん、そうしたミニブログを丹念に拾っていけば、似たような読み味を得ることはできる。だけど、やっぱり、スライスしたパンと、一斤まるごとにかぶりつくパンは、同じパンでも同じ味じゃないのだ。