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疾風の如く、女を語れ! 第一章 川本真琴

シリーズ風林火山 90`S 1996

川本真琴。今となっては、ずいぶんと古い名前に感じられるかもしれない。

映像は、彼女のデビュー曲、愛の才能*1。当時13歳だった僕は、この曲の歌い出し、しょっぱなのワンフレーズだけで、一瞬のうちに恋に落ちてしまった。

「成長しない」って約束じゃん

 僕の衝撃を想像頂けるだろうか。なにしろ僕は13歳だったのである。右も左もわからぬ年齢だ。右も左もわからぬままに右頬を張り飛ばされて、僕は頼まれもしないのに左頬を差し出した。繰り返すが僕は13歳だったのだ。成長痛で夜も眠れない僕に、「成長しない」という「約束」が唐突に突きつけられたのだ。随分、一方的な約束もあったものだが、心を奪われた僕は従わざるをえない。それほどにこの約束は魅力的だった。川本真琴……蛙みたいな顔しているくせに、どうしてこんなにエロティックな約束を突きつけることができるのか?
 成長、の「せい」、その息遣いに含まれた圧倒的なまでのエロさ。性急さ。性が急ぐと書いて、性急。性を急ぐと書いて、性急。東京最速を誇る京急電鉄をも置き去りにする超特急。僕はこの第一声、「せい」を聞いたときに、もう約束の全てを了解してしまっていた。成長しないということは、石像のようにずっと変わらないということではない。そうではなくて、それは全速力で疾走しながらも決して目的地には辿りつかない、という固い決意なのである。いや、そもそも目的地などはじめからないのだ。走る、その運動を永遠に空転させつづけること。僕の場合、それは成長痛の夜に閉じ込められるということを意味する。時計の音だけがコチコチと響く午前二時に、僕は骨の軋む音と、川本真琴の歌声を聴いたような気がしていた。朝が来ないことを覚悟していた。

 あれから年月は流れ、今や僕の年齢はあのころの倍だ。成長痛もとっくにおさまり、僕はとうとう一度も夢精を経験しないまま大人になった。大人になった僕は、こうしてブログを書きながら、あのころ読んだエロ本の編集後記に書いてあったことを思い出している。曰く、「夢精はセックスの百倍気持ちいい」そのような至上の快楽を味わうことができないまま、僕は歳をとって死んでいく。僕が夢精を経験できなかったことには、単純な原因があって、要は夢精よりも先に自慰を覚えてしまったからなのだ。例の記述を読んでからは、
自慰を断つことで夢精世界に旅立とうと試みる日々が続いた。若かった僕は三日と自慰を我慢することができず、挑戦は常に失敗に終わってしまった。つまるところ僕も、川本真琴と同じく、性急過ぎたのだ。性に急ぎ過ぎていた。その性急さを、永遠の一瞬に落とし込むこと、それが川本真琴との約束だったのが、それは所詮、現実では果たすことのできない不可能事だった。それは、時間という概念が存在しない、夢の中だけでできることだった。夢精。それを諦めた瞬間、僕は彼女との約束も諦めたのだ。

明日の一限までには何度もKISSしようよ

 13歳の初夏。僕が自らを律し、夢精の境地に目覚めることができていたなら。僕は今も、成長痛を持ちつづけることができたのかもしれない。しかし、現実はこの体たらくだ。もう心にも体にも痛みを感じることはない。心を殺さなければ、生きていけない。心を殺してしまえば、生きていく理由もない。そんな現代社会に、僕は僕なりに適応してしまったのだ。なぜ、こんなことになってしまったのか? わからない。いや、ほんとうはわかっている。「ぜんぶ、自慰のせい」なのだ……。自慰ばかりしていると頭が悪くなる。今となっては、そのような迷信にも一分の理があったことを認めざるをえない。

*1:1996年。作曲は岡村靖幸