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静林の如く、女を語れ! 第二章 ともさかりえ

シリーズ風林火山 90'S 1999

はじめに断っておくが、僕はともさかりえに恋したことはない。それどころか、僕は彼女について、何一つ語るべき言葉を持っていないのだ。かろうじて、顔がうつみ宮土里に似ているナア……というような感想を持つくらいである。僕にとって、ともさかりえは「語るもの」ではなくて、常に「語られるもの」だった。椎名林檎は、彼女を評して、「きれいで儚い人」だと語った*1伊集院光は、「微妙な顔なのに美人扱い」「顔が曲がっている」といったような、かなりひどいことをラジオで喋っていた。(深夜の馬鹿力でそのようなことをよくネタにしていたように記憶している)。そのどちらも、僕にはいまいちピンと来なかったのだけれど、不思議に心の隅にひっかかってしまって、今日に至るまで忘れることができなかった。ともさかりえ自身よりも、ともさかりえについて語る彼らのことが気になっていた。僕には、彼らがともさかりえにかこつけて、他の何かを語ろうとしているように思えてならなかったのだ。

映像はカプチーノ*2。この曲の彼女はとてもきれいだナア……。

いつでもそうなのだが、僕はそれほど直感に優れた人間ではないので、何かが起きる、その瞬間に立ち会っていても、ほとんど全てを見過ごしてしまう。何年も経ったあと、ああ、あれにはああいう意味があったのか、などとぼんやり思うだけだし、それすらあやふやで頼りにならない。そんなわけで、僕は過去の自分の判断を基本的に信用していないのだが、今回ばかりは僕が正しかったように思う。いや、僕だけでなく、椎名林檎伊集院光も、全員が全員、正しい事を言っていたのだ。彼女については、何を語っても正しいことになってしまうし、何も語らないということも、正しい態度になってしまうようだ。
 陳腐な表現になってしまうが、つまり彼女は鏡なのだ。彼女のことを「きれいで儚い」といった椎名林檎はきれいで儚かったのだし、伊集院光は顔が曲がっていたのだろう。僕がともさかりえ自身よりもそれを語る人間に興味を持っていたのは、そうした意味で正しかった。だからきっと、ともさかりえは「うつみ宮土里」に似ていると思っていた僕は、「うつみ宮土里顔」なのだろう。なぜ、人はともさかりえに自分の姿を見てしまうのか。僕ははっきりとした答えを持たないが、上で紹介した動画を見ていると、何となく腑に落ちる気がする。彼女の容姿はどこか曖昧で、その不確かさが我々に多様な解釈を許しているようにも思える。
 あなたはどうだろうか? あなたはともさかりえについて、どのような感情を抱いただろうか? きっとそこには自分自身の姿が映っているはずだ。もしも、あなたが何らかの事情で、自分自身を理解する必要に迫られているのならば、上で紹介した動画を10回見て欲しい。何もインドを旅する必要もないし、中谷彰宏の本を買う必要もない。最良の自分探しツールYouTubeに落ちている。就職活動をしていたころの僕が、このことに気がついていたなら。きっと、人生はもっと良い方向に転がっていたことだろう。10年近く前のアイドルソングをYouTubeで見つけて喜んだりはしなかっただろう……。きっともっと、気持ちエスカレーションだっただろう……。いや、今更そんなことを言っても仕方がない。僕の人生が、後から来る若者たちの為の煉瓦として役立てばよいのだ。だから、僕は何度でも言おう。就職活動に自己分析は不要! ともさかりえを見ればイイ! これが、この大不況下を生き抜くための、たったひとつの冴えたやりかただ!



【参考】
疾風の如く、女を語れ! 第一章 川本真琴 - 飲めヨーグルト 

*1:超うろおぼえ。自信がないので、勘違いがあればぜひ教えて下さい。そのような趣旨のことをインタビューで答えていたような気はするんだけど……

*2:1999年。作詞・作曲は椎名林檎