読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破をみたZE!

誰もがそうであるように、僕もまた、新劇場版におけるシンジさん*1の活躍を心から嬉しく思っている。第三新東京市を駆けるシンジさん。両手を貫かれても、挫けないシンジさん。カッコよすぎるぜ……。終盤、シンジさんが綾波に手を差し出したとき、僕は既にシンジさんの格好よさに震えていたし、綾波のあの言葉を、ほぼノータイムで否定するにいたっては、僕はもうほとんど失禁しそうになってしまった。
もちろん、シンジさんだけでなく、綾波やアスカがみせた振る舞いもまた、賞賛に値するものだった。アスカの平手打ちを防いで見せた綾波の強さ。アスカもまた、受け止められたその手から、綾波の気持ちを感じとれるだけのしなやかさを身に付けていた。これらはほんとうにすばらしいことだ。僕は、彼らの生命が美しく蘇ってゆくのをみて、ほんとうにうれしくてしょうがなかった。
しかし、 僕にはひとつだけ心配がある。それは、旧作の彼らを新劇場版の彼らと引き比べて、ヘタレ呼ばわりするような輩が現れはしないだろうか、ということだ。
確かに、97年の夏の映画版でのシンジくんは、もう全くエヴァに乗るつもりなんてなくて、ひたすらオナニーに明け暮れるばかりの中学生だった。だからとって、彼をヘタレ呼ばわりするのはどうなのだろう? シンジくんがエヴァに乗らなかったのは、単なる甘えや弱さによるものではなかったはずだ。固い言葉を使うことを許してもらえるならば、それは倫理と呼ぶべきものであった。
オナニーも然りだ。セックスよりも、オナニー。
若い世代にはわからないかもしれないが、それがあの時代を象徴する言葉だったのだ。
そうした状況から、「でも、もう一度、会いたいと思った」という言葉を発するために、シンジくんは(我々は)、戦略自衛隊によるネルフ虐殺やエヴァ量産機による弐号機鳥葬といった地獄巡りを経ねばならなかった。それを潜り抜けてきたからこそ、新劇場版のシンジさんは綾波の言葉を、一切ためらうことなく否定することができたのだ。そこを忘れてはいけない。
とはいえ、旧作においては、終末の浜辺においてようやく辿り着いたこの境地に、新劇場版のシンジさんは四部作中の第二部の時点ですでに至っているわけで。これはやはり、すごいことではある。第二部にしてすでに旧作ラストの場所にいるということは、第三部、第四部はさらにその先の答えを出していかなければならないということだ。どういったものになるのか、僕にはまだ想像もつかない。
鍵を握るのは、やはり新キャラのメガネだろう。今までのキャラクターとは全く異質な強さを持つメガネは、非常に魅力的なメガネだが、イマイチ僕は全面的に彼女を信頼する気にはなれない。今回の新劇場版が最終的に破綻してしまうとしたら、その原因となるのはこのメガネだろう、という気がしている。
メガネは、この新世紀におけるひとつの正解ではあるのだろうが、新世紀を生き抜くために、誰もが彼女のように振る舞わなければならないとしたら、それは何て寂しいことなんだろう……。

*1:もう、そろそろ、さん付けしなければならないだろう