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おれの、1Q84

小説 写真

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1Q84に第三部があってくれてよかった。ほんとうによかった。こう思っている人間は、僕のほかにいったいどれくらいいるのだろう。あれほどのベストセラーなのだから、きっと数え切れないほどの人間が、僕と同じような気持ちでいるのだと思う。あ、上の写真は、1Q84にも登場する千倉海岸です。いくら僕だって、いつもいつも脈絡の無い写真ばかりを貼り付けているわけではないのだ。
で、何で千倉海岸まで足を運んだかって話なんだけども……それは、1Q84の謎を解き明かすため、というわけではもちろんなかったのだけど、結局のところ、僕は荒れ狂う海を見つめながら、ずっと1Q84のことを考えてしまっていた。漂流物集めに興じる仲間たちを尻目に、僕はひとり、天吾と青豆、ふかえりと綿谷りさのことを考えてしまっていたのだ。
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 僕は、こう見えても、はじめてのオナペットは『ノルウェイの森』の緑、というほどの益荒男、すなわちどこに出しても恥ずかしくない立派な益荒男である。この一事をとってみても、僕が1Q84を語る資格を十分に備えていることを分かってもらえることと思う。1Q84を読み終えたのはずいぶん前のことなので、もうあまり内容も覚えていないのだけど、胸の中にずっと引っかかるものがあって、『あれはアリか?ナシか?』と自らに何度も問い続けていた。狭苦しい東京の空の下では、考えをうまく深めていくこともできなくて、ずっと苦しんでいたのだけれど、大地の果てと大洋の果てが交わる奇跡の地・千葉の風に吹かれて、僕はようやくひとつの解答を導き出すことができた。
『やっぱあれはナシ』それがはじめてのオナペットに緑を選んだ真の益荒男、僕が出した答えだった。『やっぱあれはナシ』『ナシなんだ……』そんなことを呟きながら僕はアクアラインを渡り、東京に戻ってきた。答えに辿り着いたというのに、僕の心にはやはり陰鬱な何かが以前としてこびりついていた。そんな僕が、1Q84には続編があるよ、というニュースを聴いたとき、どれほど喜んだか、あなたに想像できるだろうか。僕には予想できなかった、まさか自分があんなにうれしい気持ちになるなんて。
前置きばかりが長くなってしまった。僕はいつもそうなのだ。大切なことを話そうとすると、ついつい余計なことをばかりを付け加えてしまう。まるで、ほんとうのことに近づくのが怖いみたいに、本題の周りをぐるぐると空回りする。しかし、もうそろそろ十分だろう。思いついたことを率直に打ち明けるべき時間がやってきたのだ。(以降、『1Q84』のネタバレを含みます)
我ながら、あんまり素朴な感想すぎるので、ブログには書きたくなかったのだけど、BOOK1、2を読み終えてからずっと、僕の心の中にはあったのは、『たとえそれが真実であったとしても、受け入れてはいけないものがあるのではないだろうか』ということだ。ネタバレ込みでざっくり言ってしまえば、やはり青豆はリーダーの言うことに耳を貸すべきではなかったのではないか、ということ。リトル・ピープルのような、何かよくわからないものが我々を支配しているという描写については、特に異論はない。僕は1Q84のみならず、この2009年においても、事実としてそうだとさえ思っている。我々の意志なんてものは、世界から伸びた影にしか過ぎないだろうし、最終的に青豆にそれほど多くの手段が残されていなかったように、我々もまた、自由な存在ではない。
だから、青豆がそうだったように、僕もまた、少女のレイプについてのリーダーの弁明を信じることができる。つまりは、ぜんぶ、リトル・ピープルのせい。だったのだ。おそらくはそれがもっとも真実に近いのだろうと思う。それは、物語という次元においてのみでなく、今、この場においてもそうだろう。僕はキリンジの『Drifters』という曲を思い出していた。その曲は、こんな風に始まる。

交わしたはずのない/約束に縛られ
破り棄てようとすれば/後ろめたくなるのは何故だ

この歌を始めて聴いたころ、僕は『人間ってバカな生き物だぜ、後ろめたくなる謂われなんて全くないのにね……』などと考えていた。今は少し違っていて、交わしていない約束を果たそうとすることこそが、ギリギリのところで人間の尊厳というものを担保しているのだろうと感じている。それは全く理不尽なことで、まるで道理にはかなっておらず、真実からは遠く離れているのだけど。
ほんとうのことを言ってしまえば、地上の人間の誰ひとりとして、自由だの責任だのといった素晴らしいものなど持っていないのだから、当然そこには約束もない。拒否することのできない約束を、我々は普通『命令』と呼ぶ。命令に従うことしか許されない我々の価値の無さ。それでもそこに何か輝かしいものを見つけださなければならないなら、やはりそれは、『命令』を『約束』と再び置き換える行為にしかないんじゃないか。その行為だけが、我々に与えられた唯一の自由なんじゃないか。
1Q84について言うなら、やはりリーダーはレイプを自分の行為として語るべきだったのではないか。作中では、青豆がリーダーを赦したような格好になっているような気がするけれど、ほんとうはそこに赦しはない。リーダーは己の罪としてそれを語らなかったのだから、赦されることはできない。そもそも赦されるべき罪がそこにはないからだ。赦しを得るためには、まずやはり罪を自分のものとして引き受ければならない。僕はそう思う。
あるいは、輝かしいものは、僕が今まで述べてきたようなところにはなくて、青豆が言うところの『愛』にこそあるのかもしれない。でも、僕はその『愛』というものにいまいち納得がいっておらず、おかげでずっとモヤモヤしていたのだ。しかし、幸いなことに、1Q84にはどうやら続きがあるという。そこで村上春樹がどんなことを語るのか、僕にはわからない。しかし、そこにはきっと今までぐだぐだと書き連ねてきたような自由や愛を超えるなにものかが記されているはずだ。はじめてのオナペットに『ノルウェイの森』の緑を選んだ益荒男は、そのことを信じて疑わない。