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西暦2007年の飲めヨーグルト

どうやら最近の若者の間ではSF=サイエンス・フィクションよりも、SF=セックス・フレンドの方が一般的らしいのだ。これはガチだぜ!何というばらまき戦略か……!彼ら彼女らに敬意を表し、僕はSFのことを「すこし・ファック」と呼ぶことにする。俗に言う、先っぽ理論である。

「現実と虚構の区別がつかない」なんて、いかにも三文小説に出てきそうな文章だけど、しかしそれは実際に起こってしまうことなのだ。

一言で説明するなら、これは「相手の死角に入り込む音」である。「死角」という視覚的な概念を音によって表現しているところが我々にとっての面白ポイントで、もちろん死角に入り込んだところで音が鳴るわけもないから、実際には自ら声に出す必要があった。発音をより忠実に再現するのなら、「スミ……」ではなく「スンミ……」と表記するべきなのかもしれない。ンが半角なのがポイントである。

それでは、聴いて下さい。
The Chimpest/Megalo Jacuzzi Riot!
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Imagine磁石 No S極
only N極
右手があるのに 左手があるのに
どうして右チンポ 左チンポはないんだろう?

アイドルはうんこ うんこしないっていうけど
うんこしたくないのは俺…
ほんとうのことを言えば きみにもうんこして欲しくはなかった

今日 \2000のビールを飲んだ いつもよりもちょっと贅沢な気分がしている
でも 思い出すのは あのころ
うんこしたくなかったころのことばかり
どうして右手があるのに 右チンポはないんだろう?
どうして左手があるのに 左チンポはないんだろう?
ずっと 考え続けていた
でもまだわからない
もしかするとずっと わからないのかもしれない
そもそも チンポが2本あれば と考えること自体おかしなことで
ほんとうは
4本あったらどうだろうか とか
8本あったらどうだろうか とか
それがほんとうの姿かもしれないのに
現実に痛ましい妥協をして
とりあえず1本増やしておけばいいや、などという…

「チンポチンポ言ってれば面白くなると思ってるのが浅はか」などと心ない言葉を浴びせられる始末。

この問題を、「素粒子」はとってつけたような*1SF的展開によって解決するのだが、僕たちMJR!がchimpestで歌ったのは*2それと同質の想像力を逆ベクトルに向けて走らせたものであった。chimpestの解決法は、植え付けられた欲望に足るだけの肉体と人生を要求する!欲望の解放をさらに進行させるニュータイプ!おかわり!と言うべきものだったのだけれど、chimpochimpoと歌っているというだけで、リアルの友人からは心ない批判や口さがないDISを受けてしまい、僕たちの真意はまるで伝わることなく終わってしまったのである。

テラ豚丼を巡る議論が活発化している今、まさに!時は来れり!とテンションをあげて製作にとりかかった僕たちですが、まさか、この曲においてMJR!がボーカルのid:yoghurt(僕のことです)をリストラすることになろうとは…。
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新しい暴動。僕の幸のためならみんなのからだなんか百ぺん灼いてもかまわない!!

だって、仕方がない。もうおれの身体は半分くらい屑肉でできているんだ。奴隷だ。

「機械の体を手に入れて機械人を皆殺しにしてやる!」は正しすぎる。

そのためには、嘘だってなんだって許されるはず。たとえそれが許されなくとも、おれたちは柵の中で飢えて死ぬわけにはいかない。

誰かほんとうに罪の無い人間が、そこらじゅうの人間全てに「おまえら皆クズだ」って言ってくれたらいいんだよな。

長州力がそんなことを言うわけはないし、言ったところでおれにそれが聞き取れるはずもないのだけれど。

選挙における一票で議会が変えられるとか、国家が変えられるとか、そういうことがいいたいわけじゃない。そういった政治的な場所でなくとも、普段の生活における態度、口に出す言葉、ただ何かをしないということ、そういった形での消極的な暴動によってさえ、何かを変えるための最初の鶏になるはずだ。

とにかく騙された方がいい。その方が楽しい。恥をかいて、どこにも行く場所がなくなった方がいい。そうなれば、また、好きなだけ本を読んだり、音楽を聴いたりして、過ごせばいいじゃないか。もちろん、おれだって、いつ騙されたっていい、そんな気持ちで生きてるんだぜ?

そこで、僕に出来ることは何だろうか?ここは、多少無理をしてでも、普段あまり経験していないことを体験する機会を増やすことで、先進国の持つアドヴァンテージを少しでも削ってゆくほかない。僕にとっての無理とは何か。合コンである。というわけで、誰か僕を合コンに誘ってください。

余談だが、おれは中学や高校のとき、クラスの誰がすでにセックスしているのか、ということが気になっていた。実を言うと、今でも気になっている。あのとき、誰かセックスしていたのか。アダムが耕し、イブが紡いだとき、誰が貴族であったか。当然の疑問と言うべきだろう。

「こいつら所詮はローカルヒーローに過ぎないよな、未来のヒーローであるおれには全然関係のない存在だな」

だとすれば、この世界は幻が反射された幽霊世界に過ぎないのに、おれは「どうぶつの森」のカートリッジをなくしてしまったせいで、それを確かめる術を持たないのだった。

昔好きだった子に似た女の子が40分9000円、というプライスでサービスを提供しているのを見つけてしまったのだった。

ヤンキー客相手にしてると、ミニバンに肖像画を描いてもらえたりもするしね。

プラトニック?クソ食らえ!生きてて恋すりゃ姦るんだよ!と言わんばかりの人間賛歌が、あっけらかんと倫理的にひどいことをする。少年のドッペルゲンガーは幼馴染を犯してしまうし、少年は少年でついうっかり獣姦してしまったりする。でも、だからといって全然汚い話はならないのがこの作家のすごいところ。この世ではどんなことが起きたっていいし、どんなことが起きたって生きていけるのだ。何もかもが許されている。許されている?誰に?神様に? もちろん神様は許さない。が、神様に負けないだけの気力があれば、何をしたって人間は汚れたりなんかしない。これほど爆力魔波な小説も他にないだろう。

僕がやるべきことは、自らの小説のつまらなさから逃げることではなくて、どこがどうつまらないのかを詳らかにし、どうすれば面白くなるのかを理解することだ。それを達成するため、ここからは僕の処女失敗小説「さよなら鰐ゲイター」を題材にとり、実践的に失敗を分析していこうと思う。処女で失敗、という単語の並びにはどこか真夏の海岸物語的なスメルが漂う。そんなありがちな一夜の失敗に、分析という光をあてることは果たして許されることなのか?

つまりは、はてな市民の才気で、古典をよりスウィートでファニーなものにレボリューションしようぜ、ということだ。といっても、作品そのものを改竄するのは、原作ファックにもほどがあるいう謗りを免れ得ないであろう。はてなダイアラーの才気でレボリューションしてほしいのは、作品につける注釈だ。

少なくとも、それであの可愛らしい女の子は、鬼のように怖い上司に叱られなくてすむのだ。

「まるで成長していない……」アメリカへ留学した谷沢を見る安西先生のような心境だ。