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全ての子供は親から引き離して国家が教育するべき

風景 写真

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男は、そう言い放った。場が、どよめいた。それは、とある化学メーカーの採用試験の一環として行われた、グループディカッション中の出来事だった。議論のテーマは、「あるべき教育の姿」。当然のことながら、彼はGDに参加した学生全員からの攻撃を受けることとなった。何しろこれは就職活動なのだ。誰だって、自分をよく見せたい。できれば、ノーリスクで……。

そうした状況の中で、飛び出したのが上記の発言である。突っ込み所は満載。さあどうぞカウンターをブチこんでください!と言わんばかりのテレフォンパンチ。しかも、発言者はどうみても議論に弱そうな、うらなりびょうたん型の青年だ。極論を言うわりには、覇気が感じられない。おそらく、思いつきをそのまま話してしまったのだろう。「こいつはいい踏み台だぜ!」学生たちの声なき声が、会議室に響いたような気がした。ついさきほどまでリスクを恐れて無難な発言ばかりを繰り返していた学生たちが、別人のようにイキイキと喋りはじめた。

全体主義」「危険思想」「人権侵害」正論。正論。また正論。繰り返される正論の数々。学生たちは、まるで就職活動の鬱憤を全てこの場で晴らそうとしているかのようだった。その表情には紛れもなく嗜虐の喜びが浮かんでいた。「このビックウェーブ、乗るしかない!」おれもいつまでも他人事にようにのほほんと構えているわけにはいかない。そうは思ったのだが、どうにもやる気がしない。もともとおれはグループディカッションは苦手な性質だったし、それほど強くこの企業を志望していたわけでもなかった。ぶっちゃけただの抑えのつもりだった。

そうした、半分腰が引いた状態で場を眺めていたせいだろうか。うらなりくん(仮名)の言いたいことも何となくわかってきた。どうやら、彼は「ほんとうに平等な世の中を作るために」「全ての子供は親から引き離して国家が教育するべき」だと言いたいらしい。文化資本の偏在と、その是正。うらなりくんはうらなりくんなりの理想をもって発言していたのだ。そのせいだろうか、うらなりくんはどれだけフルボッコにされても、自分の意見は決して撤回しようとはしない。

やがてGDはうらなりくんを攻撃するだけの場になってしまい、全く建設的な議論は行われなくなってしまった*1。これでは、うらなりくんを批判した学生たちもいい評価を受けることはできないのではあるまいか。自らを犠牲にして、敵全体に多大なダメージを与える―こうした振る舞いを、当時の就活生はメガンテと呼んでいた。うらなりくんは、まさにそれをやりつつあったのだ。このままでは、いかん!義憤に駆られたおれは、ようやく腹をくくった。かくなるうえはおれもうらなりくんに加勢し、会議室に文化大革命の嵐を巻き起こしてやる!

しかし、おれの決断はあまりにも遅かった。結局、ほとんど発言することのできないまま、GDは終わってしまった。きっと落ちてしまっただろうと思ったのだが、意外なことにおれは選考を通過していた。おそらく、場があまりにもグダグダになってしまったため、学生を絞り込むことができなかったのだろう。GDの参加者のほとんどは、次の選考でも見ることができた。しかし、うらなりくんの姿はそこにはなかった。あるいは、GDという形ではなく、お酒でも飲んで話せば、うらなりくんとももっと面白い話ができたのかもしれない。もし、彼が下戸なら、紅茶でも珈琲でもかまわない。もちろん、実際にはあれきりの出会いだったのだけれども。

*1:サラリーマンになってもう何年にもなるけど、建設的な議論なんてものはそうそうお目にかかれるものではない。