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さよならもいわずに/上野顕太郎

漫画

おれはまだ、親しい人と死に別れたことがない。それは幸福なこともしれないけれど、経験しなければならない苦痛をまだ残している、という点では、やはり不幸なことなのかもしれないし、もっと単純化していうのならば、結局のところおれはまだ若く、子供で、死をきちんと受け止めることができるほど成熟していない、ということなのだろう。

しかし、こちらの準備がどうであろうとおかまいなしに、人は死ぬときは死ぬのであって、おれもいつかはこの作品で描かれているような出来事を経験することになる。

この作品を読んでいる間、おれの頭の中にあったのは、鳥のささみのサラダだった。茹でた鳥のささみを指でひとすじずつちぎって、サラダに載せる。おれも何度もやったことがある作業だが、大切な人間を失うということは、生きたままささみになって肉をむしられつづけるということであるかのようだ。そして、とうてい信じられないことに、この世に生きる人間はみな、どんなに平凡な人間であっても、そうした苦痛に平然と耐えて生きてゆくのだ。

(もちろん、「泣きながら歩いている人なんていないけど/だからといって/みんなが幸せな心で歩いているとは限らないのよね…」なのだから、平然としているのは見た目だけのことなのだろうが…)

さよならもいわずに (ビームコミックス)

さよならもいわずに (ビームコミックス)

漫画家・上野顕太郎が妻を失ったあとの日々を綴ったこの作品は、親しい人と死に別れたことないおれにも、その苦痛を実感させてくれた。もちろん、おれだって今までそうしたことを想像したことがなかったわけじゃない…。おれだって、いつかはそれを経験しなければいけないことは分かっていたし、そのシミュレーション、というか、心の準備、のようなものはしてきたつもりだったが、それは結局「つもり」でしかなかったようだ。

少なくとも、この作品で描かれているような悲しみをおれは想像したことさえなかった。この作品で描かれている悲しみは、手をのばせば触れることができそうなほど、具体的なものだ。自分の人生への想像よりも、他人の描いた漫画のほうがリアリティがある、というのもどうかと思うのだが、この作品にはそれだけの力がある。
とくに、上野さんが妻との生活を記録したヴィデオテープを見つけるくだりには圧倒された。若いころのふたりが裸で睦みあう映像をみた上野さんは、「誰かが自分たちを盗撮していてくれなかっただろうか…」なんてことまで言い出してしまう。