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悪人

映画

2時間半近い上映時間が非常に長く感じられたのは確かで、おそらくもう二度観る事はない映画だろうとは思うんだけど、闇に沈む三瀬峠と、そこを走り抜けてゆく白いGTRの姿、おれはおそらくその光景を何度も思い出すだろうし、それだけで十分観に行った甲斐はあった。しかし、原作を読んだときから思っていたのだが、妻夫木演じる清水青年は、なぜに料理が来る前にあんな重大な告白をしてしまったのだろう。*1あんなことを言われてしまったら、せっかくのイカ料理にも手をつけられなくなってしまうじゃないか。重たい沈黙の中で、清水青年がイカの眼を見つめることしかできなくなってしまったことは十分理解できるが、イカの眼に吸い込まれるようにして回想が始まってしまったときは正直どうしようかと思った。しかし、振り返ってみれば、あの演出も悪くなかったように思う。
国道生まれ*2のおれにとっては、この映画の持つどん詰まり感には非常に身につまされるものがあって、「国道をいったりきたりしていただけな気がする」という女のセリフにも、「目の前に海があったら、どこにも行けんような気になるよ」という男のセリフにも、何ともいえず響くものがある。そういうあれやこれやが嫌で、おれは東京に出てきたようなものだけども、それで自由な生き方ができたかといえば、そんなこともなくて、相変わらず村人のような暮らしをしているのはなぜなんだろう、そんなことを考えたりもした。どん詰まりの男女が出会えば、やることはひとつしかないんだけれども、深津絵里のおっぱいをいかに自然に隠すか、ということのみに工夫を凝らした体位が続くベッドシーンには正直不満がある、あの二人なら、もっと切実な、喉がからからに渇くようなセックスをするはずなのに。ちょっと穏やかすぎたし、余裕がありすぎた。
何やかんや文句をつけてしまったようだけれども、おれはこの映画がわりと好きだし、胸打たれるような画もあったと思う。思うのだが、何もこんな、貧しい世界を描いた映画を、よりにもよって六本木ヒルズで観る必要はどこにもなかった。映画を観たあとそのまま『TOKYOPHOTO』という展示を観にいったんだけども、そこでは業界人らしい若い女がおっさんに向かって「富裕層に向けて、絵を買うとか、写真を買うとか、そういう消費、生き方を、日本でもあたりまえに? する? そんな仕事をしていきたい……」なんてことをくっちゃべっていて、おれの中の柄本明が「そうやって、生きていかんね。そうやってずっと、人のこと、笑って生きていけばよか」などといって怒りを爆発させそうになったのだが、実際には彼女たちだって誰を馬鹿にするつもりもなかっただろうし、別段おれが腹を立てるような話ではない。

*1:そもそも、なぜイカ料理屋であんな話をするのだろう、という疑問もある

*2:58号線