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ゆとりをうらやむ歌

IMGP3847
 人類がいちばん腐っていた時代に生まれ育った老人たちが、今日も若者たちを罵っている。彼らが言うには、最近の若者たちは「とにかく覇気がない」し、「ゆとり教育のせいで競争心を失い」「向上心も持たず」「欲しいものさえもない」「去勢された羊のような連中」であるらしい。「これだからゆとりは」何度この文字列を目にしたことだろう。僕には老人たちの言うことがよくわからない。いわゆる「ゆとり」と呼ばれる若者の性質は(仮にそれが評判通りであれば)この、衰退していくかつての先進国で生き抜くための、最適解であるようにしか思えないからだ。夏には夏の、冬には冬の過ごし方がある。熊だって冬になれば眠りにつく。まして、この冬には春が約束されてはいないのだ。老人たちは、「どうして夏のように歌い踊らないのか?」などといって若者を責め立てるけれども、そこにはキリギリスがアリを説教するかのような滑稽さしかない。
 IMGP3848
 やはり、どう考えても、ゆとり世代は100%正しい。僕は心からそう思っている。しかし、だからといって、僕がゆとり世代の味方をするかと思ったら、大間違いだ。僕は1982年生まれで、呪われたANKOKU世代なのだ。我々は幼いころに80年代の輝きを目にしていながら…それが無惨に失われていく様を横目でみながら大人になった。そのせいかどうかは知らないが、僕の気性は限りなくゆとりに近いのに、その一方でどうしようもなく俗物なのだ。僕は未だに自家用車を持ってはじめて一人前の大人になれると考えているふしがあるし、できることなら下品なくらいゴージャスなスポーツカーに乗って、海岸通りを駆け抜けてみたい。100平米くらいのマンションにも住みたい。豪華客船にも乗りたい。カシミヤのコートも欲しい。5DMarkⅡとSD1、K-5を揃えて写真を撮りたい。財布の中身は素寒貧、将来に希望も持てないのに、脳内だけはバブル世代並み…。こんな珍妙な感性が、万物がみな立ち枯れていく黒冬の21世紀を生き抜いていけるはずがない。そんな僕が、ゆとり世代の味方になることなど、あるはずがない。そもそも、彼らは僕の擁護などまるで必要としちゃいないのだ。老人たちが何を言おうと、欲望を克服した時点でゆとりはこの未来世界の勝利者となることは約束されているのだから…。その傍らで、無惨に屍を晒すのが、きっと僕らの役目なのだろう。
 IMGP3709
 去年の文学フリマで、ゆと部と名乗る若い男女のサークルをみかけた。そのサークル名は、どうやらゆとり世代部の略称であるらしかった。彼らは見るからに気だてがよさそうで、和やかで、楽しげだった。許せないと感じた。僕の文学が、アウディのR8SPIDERを手に入れることができぬせいで、その真の実力を発揮することができず、貧困の中に朽ち果てていこうというのに、彼らはそのような俗な欲望に頼ることもなく、いきいきと自らの文学にその才能を発揮することができるのだ。いくらなんでも不公平じゃないか。おれだって、彼らと同じように、希望の無い未来を生きていかなければならないんだ、それなら、おれも、彼らのように、欲もなく決して怒らず一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べて生きていきたかった、のに…。