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せめて、もっと人殺しの顔をしろ

TVでは、芸能人が我々に呼びかけている。「デマに騙されないようにしよう」ずいぶんと難しいことを言ってくれる、とおれは思う。デマに騙されようと思って騙される人間はいない。みな、正しいことをするつもりで間違えるのだ。
芸能人たちはこんなことも言っていた。「被災者の気持ちになって考えよう」確かにこれは大事なことだ。けれど、難しい。とりわけおれのような人間にとっては。おれは頭が悪いから、福島の原発について、土地を奪われた人間の気持ちをほんとうには想像することはできない。ただ、自分に置き換えて考えてみることしかできない。
もしも、自分の住む街に原子力発電所があったらどうだろう? 自分の故郷が、放射性物質に汚染されてしまって、二度と帰ることできなくなってしまったらどうだろう? しかも、その原子力発電所は遠く離れた東京に電気を供給するための施設なのだ。なぜ、自分たちだけが、東京の犠牲にならなければならないんだ? そんな問いを持った人間が出てくるのは当然のことのように思える。
けれども、彼らにたいしてこんな風に言うやつもいるかもしれない……。リスクは折り込み済みで、地元は原発を受け入れてきたんじゃないか。原発と引き換えに補助金を受け入れて、いい暮らしをしてきたんじゃないか、というやつが。

「責任は免れない」 原発と共栄の福島・双葉町議ら苦悩
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103280574.html

この記事を読んだおれは、自分でも驚くほど冷ややかな気持ちになった。自業自得じゃねえか。おれの故郷にも全く同じ構図があるだけに、かえって同情することができなかったのだ。もちろん、そんな風に考えることは絶対に間違っている。補助金で人間の命を買うことができると勘違いしているからそんな風に思うのだ。
記事によると、「7、8号機の誘致凍結を解除すると、その見返りに毎年9億8千万円初期対策交付金が町に入った」ということだ。9億8千万円で人間の命が買える? そんな馬鹿な話があってたまるか。たとえどんな事情があろうとそんな取引は即座に無効だ。取引になっていない。補助金を餌に他人の土地に危険を押し付ける。これが搾取じゃなくてなんだ。

だいたい、補助金が支給されるっていったって、その恩恵が公平に分配されるわけじゃない。立場や職業によって相当に濃淡がつく。儲かるやつは儲かるが、儲からない人間は儲からない。儲からない人間にとってのメリットといえば、せいぜい公共サービスがちょっとリッチになるだけのことだ。それでいて、潜在的な危険は、公平に分配される。当然、地域は割れる。意思決定は歪む。こういうのを分断統治っていうんじゃないか? 世界中の植民地で何度も繰り返されてきた悪辣な手口。

福島には原発が必要だった

このブログのコメント欄みたいな状態を、わざとつくりあげておいて、民主主義の名を謳う奴がいる。冗談でいっているのかとさえ思う。

おれは頭が悪いから、自分の周りのものに置き換えることでしか他人に共感をすることができない。おれは沖縄の生まれだから、原子力発電所の問題をどうしても米軍基地に重ねてみてしまう。沖縄も、やはり補助金に分断されている。実際に、この事故が起きる前は、米軍基地の問題を本土の人間に説明するときは、「米軍基地は原子力発電所と同じだ」と言ってきた。今となってはもう、そんなことは言いづらくなってしまったけれど。

おれが米軍基地に反対する最大の理由は、その存在がおれたちはおれたちの土地のありかたさえ自分では決めることができないということを突きつけてくるからだ。所詮おれたちは征服された民族、支配された人間に過ぎないのだということを認めざるをえなくなってしまうからだ。

原発が気に食わないのも、全く同じ理由からだ。金で他人の土地を好き放題に奪うことができると考えている連中には反吐が出るほどむかついている。胃液で焼かれた喉から、ゲロにまみれた呪いの言葉を吐きかけてやりたい。おまえらは糞だ。ところが、気がつけばおれ自身が糞に加担してしまっている。いまの状況では、首都圏で暮らすということは、それだけで身の毛もよだつ下衆どもの仲間入りということになってしまう。おれはそれが嫌でたまらない。自分自身が、心から憎んでいたものになってしまう。頭がおかしくなりそうだが、それをどうすることもできないでいる。

先週末には統一地方戦が行われ、東京では現職の石原都知事が圧勝した。全くお話にもならないほどの圧勝だった。おれは、石原慎太郎に投票した人々を、それほど愚かだとは思っていない。おれにはわからないが、彼らは彼らなりの理由があって、石原慎太郎を支持したのだろう。もちろん、彼らとて石原に全権を委任したわけではないだろう。個々の政策には異論があるかもしれないけれども、総合的に石原が最も都政を託す相応しいと判断したからこそ票を投じたのだ。

だからおれは、石原に票を投じた人間を無条件で極右だとは考えないし、レイシストだとも思わない。まさかほんとうに核武装を目指しているわけではないだろう。けれども。けれども、原発については少々話が違ってくる。福島の事故がまるで収拾する兆しも見えないなかで、石原は原子力発電の推進を明言した。ある意味では勇気のある発言だったと思う。大量に票を失う可能性だってあっただろう。しかし石原はあえて発言し、その上で彼は都知事選を圧勝した。石原は都民は原発推進を望んでいる、と判断するだろう。おれだってそう思う。誰だってそう思う。
原発には反対だけど、投票は石原? そんな選択はありえない。都民は今後も危険を誰かに押し付けたまま電力を利用しつづけることを選択したのだ。善良な市民は虫も殺さぬような顔をして、平然と他人を生け贄に捧げつづける。東京都民が特別ひどいというわけではない。これは世界中いたるところで繰り返されてきたことに過ぎない。強いものは省みない。搾取する側が自らそれを反省して止めるということは絶対にありえない。それが普通だ。けれども、だからといって、それが許されていいという理由にはならない。こんなことはもう止めるべきだ。それができないからというのなら、せめて。せめて、その善人面だけは止めるべきじゃないか。借り物の台詞ではあるけれど、こう言いたくなる。略奪者の顔をしろ。せめて、もっと人殺しの顔をしろ。

だから、もっと人殺しの顔をしろ