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東京の砂漠(OHT.6)

写真 おれたち秘境探検隊

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砂漠を、なめていた。ミルクを流したような霧が視界を覆うこの天上世界では、方向音痴なおれの感覚など全くあてにならないから、おれは石で記された登山道から一歩も外れることができなくなってしまう。吹きすさぶ砂塵が、おれのカメラのAFを狂わせる。無限遠では、もうまるっきりピントがあわない。ダストリダクションでも排除することのできないゴミがセンサーにへばりついてゆく。
目の前の光景は信じられないくらいに美しいのに、それらをうまく写真におさめることはできそうもない。三脚をおさめたザックが疲れた身体に重くのしかかる。三脚と雲台、あわせて2キログラム。おれはひどくのどが乾いている。残った水は、500ミリリットルのペットボトルに半分ほど。使いもしない三脚を置いてくれば、代わりに水を2リットルも持ってくることができたはずだ。おれは思う。どうしてこうなった……。


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金曜の、夜。残業を放棄したおれは部屋に戻ってシャワーを浴び、スーツからポロシャツと短パンに着替える。使いなれたカメラと買ったばかりの三脚をザックに詰め、荷物にアクアソックを追加するかどうか悩みながらも結局はザックに放りこんでしまう。週末旅行のはじまりだ。旅行といっても、行き先は東京都内。しかしそこにたどりつくためにはまる一晩もかかるのだ。東京都神津島村。それが今回の旅の目的地で、夜の上り電車はいつだって空いている。新橋からゆりかもめに乗り換え、竹芝桟橋へ。モノレールはどこも過ぎ去った未来の匂いがする。桟橋の待ち合い所は混雑している。釣り竿を持った乗客が目立つが、一眼レフのカメラを抱えた連中もちらほら見かける。いかにもブログなんぞを書きそうな面構えをしている。おれだってカメラを持っているし、もしかするとブログだって書くかもしれないが、今はただ、ビールが飲みたい。

実際のところ、おれはひどく浮かれていた。船旅は初めての経験なのだ。船内の売店でビールを買って甲板に上がれば、夜風がほんとうに気持ちがいい。アルコールのせいか、夜風のせいかはわからないけれども、海からみる街の灯りは非現実的なほど美しく、あのなかであれこれ色んなことを心配しながら生きてきたことのほうが、よほど嘘であるように思えた。現実逃避といえばそれまでだが、おれはこの週末のささやかな旅の間には、あらゆる不安を思い出さないでおこうと心に決めていた。そう決めていたことを思い出す必要もないくらい、心地良い夜だった。このままずっと甲板に出ていたいような気もしていたけれど、翌朝は天上山に登らなくてはならない。標高570mほどの山だけれども、ふだん運動をほとんどしないおれにとっては大仕事だ。大事をとって早めに休むことにした。
おれの切符は、特2等。2段ベッドのスペースが与えられている。テレビもネットもない夜だけど、退屈とは無縁だ。船内にはマガジンのバックナンバーが備えられているし、おれはiPhoneに新しいゲームアプリ(源平大戦絵巻)を追加していたからだ。文庫本も持っている。南米の小説だ。一晩を寝ずに過ごしても耐えられるほどの娯楽を用意していたおれだけど、夜は長いようで短く、船の揺れは案外心地よく、おれはあっさり眠りに落ちてしまう。

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船旅人の朝は早い。

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といってもべつだんやることはないのだが、朝の5時には船が大島に寄港するので、船内がなんとなくざわめいて、自然と眼がさめてしまうのだ。この辺りの島々は、中央にどかんと山が鎮座しているような形のものが多く、マンガに出てくる島のよう、というかワンピースに出てくる島のように見える。島々の山の多くは分厚い雲に覆われていて、おれはなんだか心配になる。似たようなところに登るはずなんだけど、大丈夫なのかよ? 
結果からいえば、おれは冒頭に書いたような状況に陥ってしまうのだけど、このときのおれにはそんなことまではわからない。船内の食堂でたぬきそばをたべる。うまくも、まずくもない。ほとんど乗客は大島で降りてしまい、船はとても静かだ。おれはそばをすすりながら天気の心配をする。といって、おれに雲をどうこうできるわけもない。そうこうしているうちに船は島に到着。おれは山を見上げる。案の定、雲が頂を覆い隠している。宿の女将は、きょうは登っても何にも見えないかもしれないね、などと言う。登るな、と言われないということはそれほど危ないわけでもないのだな、とおれは思う。

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カロリーメイト。ゼリーのパック。雨具。カメラ。500ミリリットルのペットボトルが2本。無駄に持ってきてしまった三脚。胃袋におさめた、たぬきそば。結局、それらが、おれの荷物の全てだ。今にして思えば、水をもっとたくさん持っていくべきだった。チョコレートがあってもよい。天上山は、なんというか、こう、エアーズロックのような形をしている。なので、壁の部分を登る前半部分がひたすら辛い。標高的には大した高さではないのだろうが、勾配は急だし、階段ばかりだし、とにかくおれには体力がない。おれたちの他には人影は全くない。不安だ。滴る汗。乾く喉。結局、おれは十合目に至るまでには、たった2本しかないペットボトルの1本目を飲み干してしまい、あまつさえ2本目にも手を出してしまっていた。
しかも。そのときになって気がついたことだが、2本目に用意していた飲み物「からだ巡り茶」には400ミリリットルしか入っていないのだ。……砂漠で、水の入った瓶を旅人が見つける。水は瓶を半分ほど満たしている。ここで「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分もある」と思うか否かで人生が変わってくるというお話を、新入社員研修のときに聞いたことがある。しかし、おれがどう思うと、からだ巡り茶のボトルが400ミリリットルであるという事実を動かすことは出来ないんだよ。「もう」も「まだ」も関係あるかよ!
 一瞬、くだらない地上の怒りに呑み込まれかけたおれだけど、霧に包まれた天上世界の美しさがそれを忘れさせてくれる。

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千代池の水は涸れていた。柔らかい草が辺りを覆っていて、踏むのも躊躇われるほど美しい。

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そして、ついに裏砂漠へ。同行した隊員は、「あの世っぽいけど、天国でも地獄でもないって感じがする……。死者が裁きを待っているところのような……?」という印象を受けたようだ。言わんとすることはわからんでもない。もしも、あの世というものが本当にあるのなら、きっとこんな風景のはずだ。

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子供のころ、おれは地獄を想像するのが好きだった。地獄を描いたグロ絵本を、小学校で半ば強制的に読まされてからというものの、地獄を思い描くことがおれの日課となった。七歳のおれは、いままで犯してきた罪*1の重さを想った。地獄に落ちることを覚悟した。針の山地獄、灼熱地獄……血の池地獄だけなんだかヌルくないか? などとなめたことを思っていたのは秘密だけども、やはり地獄は恐ろしかった。
しかしながら、人間はネガティブな想像に長けた生き物だ。7歳のおれも、その例外ではなかった。地獄を想像するうちに、本に書いてあった地獄だけでは飽き足らなくなってしまったおれは、いくつものオリジナル地獄を夢想するようになった。暗黒星雲地獄や、ゆめ地獄、おはようゆめ地獄など数多の地獄を創作したおれの最高傑作は、永久落下地獄というものだった。底のない巨大な穴を、永遠に落下しつづけるという地獄だ。子供の考えることなので、とくにひねりはない。
7歳のおれは、やはり全くわかっちゃいなかった。もしも、あの世というものが仮にあったとしても、そんなアトラクション満載の遊園地のようなものであるはずがない。あの世は、もっと静かで、冷たく、良くも悪くも人間の感覚を超えていて、快も不快も超越した場所のはずだ。

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つまり、このような。

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天上山のあるもう一つの砂漠、表砂漠は裏砂漠とは砂の質が違っている。粒子がひどく細かいのだ。まるで沼の上のように、一歩踏み出すたびに足が沈みこんでしまうから、普通に歩くよりもずっと体力を消耗してしまう。といっても、常人ならこんなものはものともしないのだろうが、とにかくおれには体力がない。水はもう一滴も残っていない。一度もレンズを交換していないのに、カメラの内部にはすでに大量の砂粒が入り込んでしまっている。おれのカメラの背面液晶、今となっては決して精算とはいえないようなしょぼい背面液晶でも、はっきり視認できるほどひどい状態だった。そんな時でも腹は減る。仕方なしにカロリーメイトを食ったら、口中の水分は一瞬で失われ、おれはいよいよ渇いてしまった。どうしてこうなった……。

途方に暮れていると、とても気持ちの良い風が吹いてきて。

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やはり山というものは面白いもので、少しの風向きの変化で風景が一変してしまう。霧が晴れた向こうには、島のようにどっしりとした量感を持った雲が浮かんでいて、「ラピュタはほんとうにあったんだ」なんてつまらないことを言おうとして、止めた。もう、さっきまでの「あの世」的な雰囲気なんて、どこにも残っていない。完全に「この世」だし、というか最初からここは「この世」だし、「あの」も「この」も結局はおれの言い様に過ぎないんだけれども、この世だろうがあの世だろうが、目の前で起こるたいていのことはおれの想像する通りには転がっていくもんじゃないし、だったらおれがどんなつまんないことを言うのも自由だよな、と思い直して、「ラピュタはほんとうにあったんだ」と言ってみた。おれはジブリの最高傑作はラピュタじゃなくてポニョだとは思うけど。

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*1:アリの巣を水中に沈めるなど