読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

レイシストの友人

生活

つきあいが途絶えてしまってもう長い年月が経つのだが、僕にはかつてレイシストの友人がいた。彼の差別対象は両手の指では足りないほど多岐にわたるものだった。
中国人。韓国人。ユダヤ人。女性。左翼。同性愛者。生活保護受給者。身体障害者精神障害者。路上生活者。
まるで、自分と異なる属性をもった全ての人々が彼の敵であるかのようだった。
彼が沖縄人の僕を差別しなかったのは実に不思議なことだったが、いまとなっては何となくその理由がわかるような気がしないでもない。自分が攻撃対象ではないといっても、彼がところ構わず差別感情を撒き散らすのを見るのは、あまり愉快なものではなかったが、彼は友人としては、実に誠実な男であって、僕とのつきあいの中で、信義にもとるような振る舞いをしたことは一度たりともなかった。ユーモアの感覚にも優れていた。愛すべき点は確かにあった。

当時、僕も彼も学生で、彼は上野のコンビニエンスストアで夜勤のアルバイトをしていた。土地柄もあるのだろう。彼の働くコンビニエンスストアには、毎晩のように路上生活者が訪れては、廃棄の弁当を求めていくのだという。
「ちょっと甘い顔するとすぐに奴らはつけあげる」
というのが彼の口癖だった。そして、いかに自分が冷酷な態度に振る舞うことができたか、ということを、彼は実にうれしそうに話すのだった。僕は昔から良識派ぶりたいタイプの人間だったので、「そんな風にいうものじゃない」とたしなめていたのだけど、彼はあまり耳を貸してはくれなかった。それどころか、かえって彼は自己責任というもののあり方について語り始めるのだった。
彼は誰に対してもそんな風だったので、周囲から「おまえはレイシストだ」と言われることがよくあった。その度に彼は「そんな風に人をレイシスト扱いして差別するおまえの方こそレイシストじゃないか」と反論するのだった。もちろん、これは全くの屁理屈に過ぎない。しかし、よく考えてみれば、仲間内で日常的に路上生活者と関わっているのは彼だけなのだ。
たとえ、それが敵対的な関係であるにしても。
僕などは路上生活者の人と言葉を交わしたことなど一度もなかった。街で見かけても目を合わせるということさえしない。ヘイトスピーチを撒き散らす彼と、徹底的に見えないふりをする僕の、どちらがよりレイシストなのだろう。この疑問は今でも僕の胸の内でくすぶりつづけている。
中国人と韓国人のハーフで、女性で、同性愛者で、何らかの精神障害を患いながら、路上で暮らしている人がいて、彼女が僕らの目の前で苦しんでいたら。
真っ先に助けに行くのは、もしかしたら彼の方かもしれない、とも思う。
もちろん、だからといって彼の言動が正当化されるべきだとは全く思わないけれど。