酒鬼薔薇聖斗

それがどれだけ印象的な事件であっても、卑劣な犯罪を時代の象徴のように扱うのは慎むべきだ。ともすれば、おれたちはオウム真理教が起こした事件を、流行歌のように懐かしく思い返してしまう。青春時代の映画のように、世代的体験として消費してしまう。おれだってそうした楽しさを知らないわけじゃない。「ああいえば上祐」という言葉を聞くたびに胸に込み上げる、このノスタルジー! けれども、そうして、我々が思慮なく彼らの名前を呼ぶたびに、彼らの名前は永遠に近づいていく。ある意味では、我々は彼らの犯罪に加担してしまっているのかもしれない。罪深いことだ。殺した人間のことばかり考えて、殺された人間のことを忘れる。罪深いことだ。おれにはそれがどのくらい悪いことかを説明することができそうもない。何だかんだいっても、おれたちは人を殺してしまったわけじゃないし。それでも、彼らの人殺しに少しでも心を楽しませてしまったのなら。地獄行きのスタンプを押される覚悟はしておいたほうがよいだろう。
2010年の秋葉原の事件については、こんな心配をする必要はなかった。おれは加藤の事件にはほとんど共感することがなかったからだ。おれと彼は同年代だし、共感の回路は無数に用意されていたはずなのだが、彼の鬱屈や絶望を自分の心のように感じる、そんな瞬間はついぞ訪れることがなかった。結局おれと加藤は立場が違うのだ。おれには定職がある。友人がいる。灼けつくような孤独を感じていない。おそらくおれは死ぬまで誰かを殺したりはしない人間なのだろう(たぶん)。酒鬼薔薇聖斗の事件のときは、そんな風に感じたりはしなかった。あのころのおれはまだ幼く、無力で、もしかしたらおれも人殺しになることがあるかもしれない、なんてことを本気で考えていた。ほんとうに頭が悪かった。おれは酒鬼薔薇と同じ十四歳で、自分のことさえよくわかってはいなかった。殺された人間よりも、殺した人間のことばかり考えてしまっていた。

あのころは、きっとどこの教室にも、あの犯行声明文に少なからず共感を寄せる子供がいた。おれの親友だったEくんもそんな子供のひとりで、報道を眺めては「あいつはおれだ」なんてことを言っていた。彼がことのほか関心を寄せていたのは「透明な存在」というフレーズだった。
「この点についてだけは酒鬼薔薇は間違っている」
というのが彼の意見だった。透明であることなんて苦痛でも何でもない、おれはむしろ透明になりたいんだ……。田舎の中学生らしく、おれたちの会話はごく幼いものだったけれど、本人からすればそれなりに真摯に喋っていたつもりだった。Eくんはニンテンドー64を持っていて、誰よりもうまくウェーブレース64をプレイすることのできる子供だった。

酒鬼薔薇の犯行声明に引きつけられていたのはEくんだけではなく、おれも同じだった。酒鬼薔薇の犯行声明にはよくサブカルチャーからの引用がよく指摘されているけれど、おれの関心はその引用が全く意味不明なものであることにあった。どうして、りによって、「瑪羅門の家族」から言葉を借りてこなくちゃいけなかったんだ? 当時、瑪羅門の家族はそれほどの人気漫画というわけではなかった。描いていたのが「男塾」の宮本あきらでなかったら、十週で終わっていてもおかしくなかったように思う。けれども、この漫画の持つ独特のセンスがおれは気に入っていて、よく弟たちと眉間を突きあっては「瑪・羅・門」「魔・修・羅」と決め台詞をつぶやいていたものだ。そうした漫画が本棚にあるということが、同級生の殺人鬼の存在に奇妙な輪郭を与えていた。当時、子供たちの間に流行していた漫画の中には、もっと殺人鬼の本棚に似つかわしいものなんていくらでもあった。同じ週刊少年ジャンプに連載されていた作品でいえば、「幽・遊・白・書」辺りならもっと説得的だったはずだ。けれども、酒鬼薔薇が全く文脈に添っていない漫画から無造作に言葉を借りてきたことで、この殺人鬼は誰かが頭のなかでこしらえた人間ではなく、現実の存在なのだということを実感した。現実の世界というのは、いつもどこかちぐはぐで、もっともらしい説明*1を分断するような破線がそこら中に引かれている。「瑪羅門の家族」はそうした破線のひとつで、破線が見えるということは、やはりこれは現実なのだ。空想のなかで人を殺す子供はいくらだっているけれども、それを空想にはとどめておけなかった子供がいる。そいつとおれは同じ漫画を読んでいて、おれはそいつの言葉を理解することができる。

酒鬼薔薇が逮捕されたときの報道はいまでもよく憶えている。事件のあった住宅地からの中継映像だ。犯人が十四歳であったことを告げるレポーターに、十代の少年たちが押し寄せていた。彼らは携帯電話で誰かと話しながら、テレビカメラに向かってピースサインをしてみせた。馬鹿ばっかりだ、とおれは思った。もううんざりだった。罪のない人間を殺す馬鹿。それをはやしたてる馬鹿。この世には、馬鹿しかいないみたいだし、おれもそんな馬鹿のひとりかもしれないし。おれはこれからも、馬鹿どものひしめく世界で、どうにかうまくやっていかなくちゃならない。なんて恐ろしい話なんだろう。十四歳のおれはそんなことを考えて、生きていくのが恐ろしかった。

*1:ホラー映画の影響、という説はおれにはもっともすぎるように思えた。