祖父の長い旅

土曜の夜は、祖父母の家で夕食を過ごすことになっていた。
波の上という街に住む祖父母の家には、泊大橋という橋をこえていかなければならない。橋から見下ろす港にはたくさんの貨物船が止まっていて、なぜかそれらの甲板には決まって大きな犬がいた。
どうすれば船のうえで犬を飼うことができるのだろう? 
子供ながらにそう思っていたし、それは今でも解くことのできない疑問だ。もしかすると、あれは夢でみた風景だったのかもしれない。
祖母がくれるお菓子はいつも亀田製菓の「雪の宿」だったこと、テレビにはクイズダービーが映しだされていたこと、祖父母と同居するS叔父が僕たち兄弟に折り紙を教えてくれたこと、幼い時分の記憶はどれも断片的で、はっきりせず、たよりない。
なかでも祖父の記憶はおぼろげだ。
僕がかろうじて覚えているのは、部屋の片隅で、しずかに泡盛を飲む祖父の姿だ。ほんとうに水のように酒を飲む人で、それで乱れるということもない人だったように思うけど、やはりそんな生活習慣がからだにいいはずもなくて、祖父は60代半ばで死んでしまった。ほんとうに、寡黙な人だった。僕が物心つくか、つかないか、というくらいのときのことだ。
それから、いくぶん成長して、僕は祖父が左翼系の活動家であったことを知った。



太平洋戦争当時、東京で通信の勉強をしていた祖父は、徴兵されてパイロットになった。ところが、秋田の予科練で訓練しているうちに戦況は悪化、祖父は特攻隊に編成されることになった。祖父は、ガチガチの軍国青年だったので、お国のために死ぬ気マンマンだったようなのだけれども、結局は祖父に出撃命令が下るよりも先に、日本は敗戦の日を迎えた。一度も実戦を経験することなく、祖父の戦争は終わった。
よくある話だ。
終戦直後の祖父が何をしていたのか、父や叔父たちもよくわからないのだという。いずれにせよ、戦後の混乱のなかで、すぐさま故郷である沖縄に帰ることはできなかったようだ。祖父は、沖縄の人間は玉砕した、ほんとうに、一人のこらず死んでしまったのだと信じていたらしい。T叔父の話によると、祖父は鹿児島でしばらく通信士の仕事をしていたのだという。沖縄の情報を得るために就いた仕事だったのではないか、とT叔父は考えているようだ。
秋田から鹿児島、そして沖縄。全滅を信じた故郷への帰路が、愉快なものであったはずはない。
旅の途中で、広島や長崎を訪れることもあっただろうか?
廃墟となった都市をくぐりぬけながら、祖父は何を考えていたのだろう?
祖父の心情を推し量ることは難しい。
ともかく、祖父は沖縄に帰ってきた。そこにまだ人間が生きていることを知った祖父は、米軍の施政権下におかれた故郷で、沖縄を日本に復帰させるための運動に携わるようになった。沖縄の復帰運動は左派勢力を中心に行われた。祖父もそうした組織に属していたようだ。人権もクソもないような時代と場所だったから、祖父がそうした活動を行うことで、家族はたいへんにつらい思いをしたようだ。常に琉球警察の監視下におかれた生活のことを、父はあまり語りたがらない。父は子供時代については、音楽だの、二輪だの、自分が好きだったもののことしか語らないのだ。
でも、僕ももう三十になったので、そこで犠牲になったもののことを、ある程度は推し量ることができるようになってしまった。

こうした祖父の旅路を、僕は次のような物語として受容した。
軍国青年が、敗戦により国家主義に失望して、もっと小さなもののために生きることを覚悟するまでの物語。
もちろん、それは僕の勘違いだった。
人間はそれほど単純な生き物ではなかったし、祖父の旅路は僕が思うよりももっとずっと長く、しんどいものだった。
もしかすると、祖父の旅はまだ終わっていないのかもしれない。



何より僕を驚かせたのは、生前の祖父が、祝日にはかならず日の丸を掲げていたという事実だった。
去年の正月に、はじめて知ったことだ。
左翼の仲間の手前、おおっぴらに日の丸を掲げることなんてできないから、祖父は家の中で、隠すように日の丸を掲げていたらしい。
これはT叔父の証言だが、父はそんなことは全く憶えていないという。
僕はすっかり混乱してしまった。
沖縄は日本ではない、少なくとも日本は沖縄のことは日本だなんて思っていない。
それを、文字通り身をもって思い知らされたはずの祖父が、どうして日の丸なんて掲げなければいけないんだ?
祖父は、自分のことを、何人だと思っていたのだろう?
故郷を捨て石にされてもなお、日本のことを信じていたのだろうか?
そもそも、どうして祖国復帰運動だったんだ? 
アメリカからの解放を願うのは当然としても、どうして独立ではなく日本への復帰だったんだ?
わからないことだらけだ。
こうなってはもはや、祖父に直接問いただすしかない。とはいえ、当然のことながら、死人に口はない。沖縄には、死者の言葉を伝えるユタという霊能力者もいるようだけど、もともと機械大好き人間だった祖父が、オカルトな手段に応えてくれるとは思えない。
いまさら霊能力者なんかに頼るわけにはいかない。ここに魔法の出る幕はない。
こんなときは、やはりインターネットだろう。困ったときは、いつだってインターネットだ。
僕はどんな霊能力をも超える現代の神託装置、googleにお伺いをたてることした。
エゴサーチならぬ、祖父サーチ。
有名人でもない祖父の名を探すのは骨が折れたが、僕だって、だてにブログを十年近くも書きつづけているわけじゃない。
断片と断片をつないで、かすかな糸をたぐる。僕の素晴らしい検索テクニックが炸裂する。
祖父のインタビュー記事が、国会図書館に電子データとして所蔵されていることを突き止める。
祖父よ!あなたはいったい何者だったんだ?
東横線から渋谷乗換で半蔵門線。永田町で降りて徒歩8分。
祖父を巡る、僕の小規模な旅がはじまった。

(つづく)
http://d.hatena.ne.jp/yoghurt/20121210/p1