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祖父の長い長い旅

それにしても、人類はなんと恐ろしいものを思いついてしまったのだろう。
その建物を前に、僕は人類の業の深さにおののいていた。
国会図書館。ここには、この国で発行されたほとんどの出版物が収まられているという。
インターネットは確かに偉大な技術だし、はじめて納豆を食べた人間の勇気は永遠に称えられるべきだと思うけれど、人類史上最もヤバい思いつきをひとつだけあげるとするなら、やはりそれは「文字」にほかならないだろう。約五千年前に発明されたというこのテクノロジーは、はるか彼方の人間に声を届けることができるだけではなく、死者の声すら地上に留めおくことができるのだ。
時間と空間を超越し、生と死を弄ぶ。まさしく、神をも恐れぬ所業。人類の狂気の生み出した産物である。
僕は想像する。暗闇の中で、何百万もの生者と死者が、暗闇の中でじっと聴き手を待ちつづけている姿を。
何とも恐ろしい話だが、さりとて怖がってばかりもいられない。僕はまさに死者の声、祖父の言葉を求めてこの図書館にやってきたのだ。
さっそく利用者カードをつくり、端末に祖父の名前を打ち込んでみる。画面に検索結果が表示される。やはり、沖縄が返還された1972年前後の記事が多いようだ。中には80年代に書かれたものもある。それほど多くの記事が収められているわけではないので、検索結果を上から順にプリントアウトする。朝日ジャーナルや、政治団体の機関誌など左系のものが大半だが、なかには諸君!のインタビューもある。
雑誌に掲載された祖父の顔写真は、当然のことながら僕の知る祖父よりもずっと若々しい。
髪の毛が、ある。
図書館のなかには僕の知らない祖父が幾人もいた。
不正義に怒る祖父がいた。闘いに向けて昂ぶる祖父がいた。そして、傷つき、疲れ果て、混乱した祖父もいた。文字というテクノロジーがなければ、出会うことのなかった、祖父の幽霊たち。こんなこまごまとした記事をいまさらになって読もうという人間がそれほどいるとも思えないから、彼らはきっと、僕に会うために、四十年も図書館のなかで待ちつづけていたのだ。
彼らの言葉に触れることで、僕は祖父を理解することができただろうか?
言うまでもなく、答えはノーだ。生きている人間だって、ちょっとしゃべったくらいじゃあ何を考えているかなんてわかったもんじゃない。まして死者のことなんて、そうそう簡単に理解できるはずもない。



資料を読みはじめてからほどなくして、僕は目的の祖父を発見することができた。
日の丸について、語る祖父。沖縄返還直前、1971年の祖父の幽霊だ。
「日の丸掲揚運動もわれわれはやりましたよ。いまでこそ、ぼくらは日の丸掲揚なんて言いませんけどね。」
「これだけ星条旗があるんなら、おれたち、日の丸あげようじゃないか。こういう発想ですよ」
祖父にとって、日の丸とは抵抗の象徴、反抗の旗だったというのだ。星条旗に対抗するためのシンボルとしての、日の丸。祖父の話によると、返還前の沖縄では、日の丸をあげることは許されていなかったようだ。日の丸を掲げると、警察がやってきて引きずり降ろしてゆくのだという。そこで祖父たちは、日の丸をひきちぎり、半分になった日の丸をあげることにした。半分の丸は、日の丸ではないという理屈らしい。けれども、そうすると警察は、それは他所の国旗に対する冒涜であり、犯罪なのだ、という。(それはまあ、その通りなのだが……)結局、祖父たちは長い帯状の旗に日の丸を描いて掲げた。祖父たちはそれを、「ふんどし日の丸」と呼んでいた。
こう書くと、何だか牧歌的な光景のようにも思えるのだけど、祖父は「すべての闘争で、なにか扉を開こうとする場合に、本当にこちらは刑務所に行くようなことまでやる」なんてことも言っている。その後、祖父の家族に降りかかったことも思えば、祖父のその言葉は決してハッタリではなかったのだろう。しかし、ここにきてもなお、僕には祖父の考えがわからない。どうして抵抗の象徴が、日の丸なのか?どうして、日本なのか?
祖父は、「いまでこそ、ぼくらは日の丸掲揚なんて言いませんけどね」という。なぜ、言わないのか。なぜ、言わないのに、祖父は部屋のなかでこっそり日の丸を掲げていたのか。
四十年後の未来からやってきた孫にとって、祖父はやはり謎のままだ。
祖父は自分のことを何者だと考えていたのだろう?日本人?沖縄人?あるいは、そのふたつは両立できると考えていた?
その答えはわからないけれど、祖父が新しい日本に夢をみていたことは確かであるようだ。祖父にとって、日本とは即ち新しい日本国憲法のことだった。憲法九条を字義通り解釈すれば、沖縄にこれほど広大の軍事基地を置いておけるはずがない。沖縄が日本に復帰することで、沖縄でも憲法を根拠として基地の撤去を働きかけることができるのではないか。そんな夢だ。一方で、日本に復帰することは、祖父にとっては悪夢でもあった。祖父の考えでは、アメリカがやったこと―占領下の沖縄で強制的に土地を徴発する行為―は、ハーグ陸戦条約に違反しているのだという。この違法状態が、沖縄が日本に返還され、日本の施政権下のもとで米軍基地が維持されることによって一気に合法化されてしまう。それを祖父は恐れていた。
正義と法、人類が築きあげてきた建前の持つ力を、祖父は信じていたし、むろんその脅威を侮ってもいなかった。



日の丸について語る祖父に投げかけられたインタビュアーの質問は、僕の眼には、極めて冷酷なものであるように見えた。
「異民族支配の中で、本土復帰ということを、あなたがたは心から考えたのか。それとも、アメリカ支配に対する、抵抗の手段、反対運動として、祖国復帰というものをかかげたのか。どっちだったんだろうか、あらためてお聞きしたい……」
おれのおじいちゃんに、なんだってそんな残酷なことをきくんだ!
ちくしょうが!奥歯が全損するまでぶんなぐってやる!
思わず手が出そうになるが、四十年の隔たりに僕の拳はむなしく空を切る。
かりに時空の壁がなかったところで、僕の拳に誰かを打ち倒す力などないし、インタビュアーの質問は、まさしく僕が知りたかったことなのだから、僕には彼を殴りつける資格さえない。
狼狽する僕の心とはうらはらに、祖父は冷静にこう応えていた。
「その答えは、簡単だ。」
「日本人と思いこんでおった。それだけですよ。」
その答えは、僕にとっては少しも簡単なものではなかった。なぜなら、「日本人だと思い込んでいた」という言葉のあとに語られていたのは、まさしくその日本に対する夢と希望であったから。
そして、沖縄返還から十年後、1982年に書かれた祖父の文章が、僕をさらなる混乱に陥らせてゆく。
「われわれは嘘つきだ」
祖父の言葉は、痛みに満ちていた。僕はあの日のことを思い出さずにはいられなかった。
大統領を殴りそこねたばかりか、みじめにも握手を交わしてしまった、あの忌まわしい夏の日のことを。

(つづく)

※前回の記事
http://d.hatena.ne.jp/yoghurt/20121202