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坊主の時代 '97

 1997年は坊主の時代だった。それまで、男子だけのヘアスタイルだと思われていたボウズ頭を、女子たちがファッションとして取り入れはじめたのだ。僕の通っていた中学にも、その流れはやってきた。夏の終わりか、秋の始めの出来事ではなかったかと思う。夏服から冬服への衣替えの季節だったかもしれない。学校でいちばん美しい女の子が、髪を剃り落としたのがはじまりだった。何がきっかけで彼女がそうしたのかはわからない。雑誌か何かで流行の兆しを聞きつけたのか。上の姉妹の真似をしたのか。何か閃くものがあったのか。いずれにせよ、それは罪や罰といったネガティブなものとは無縁だったのは間違いない。
 当時、僕はその子にあまり良い印象を抱いていなかった。たくさんの取り巻きを従え、学校の女王のように振る舞う彼女を、高慢で鼻持ちならない女だと思っていたのだ。そんな僕でさえも、ボウズ頭にした彼女の堂々とした立ち振る舞いには圧倒されてしまった。彼女の髪型は、ベリーショートなんてものじゃなかった。15歳にして彼女は寂聴の域に達してしまっていた。超然とした彼女の態度からは、「自分の美しさを信じる」という単純な自信を超えた、「何が美しいのかを決めるのは自分だけだ」とでも言いたげな強烈な自負が感じられた。
 女王がボウズにした次の週には、2、3人の女子生徒がボウズ頭になっていた。休日がやってくるたびに、その数は増えていった。やがて風が冷たくなって、マフラーを巻き始めるような時期が来るころには、ボウズ頭は女子生徒にとって2番目にポピュラーな髪型になっていた。*1そのころには、彼女の影響力がもっとも強い領域であるオシャレ女子軍団のみならず、バレー部やバスケ部の女子もこぞって髪を剃り落とすようになっていた。ボウズは真冬に適したヘアスタイルとは言えないけれど、そうした気候の問題を無視させるほどの何かがあったのだろう。卒業の季節になっても、その流れは続いていたように思う。
 1998年、僕は高校に進学した。不思議なことに、中学であれほど流行っていたはずのボウズ頭の女子は、ほとんどいなくなっていた。まぼろしのように、ふっと掻き消えてしまったのだ。ついこの間まで、たくさんのボウズ女子がいたはずなのに。女子の髪の毛は、どれだけすごいスピードで伸びるものなんだ? そんなことを思ったのも束の間のことだった。高校一年生の夏に、クラスでいちばん可愛い女子が髪を切ったのだ。うまく説明することができないんだけど、ボウズ頭に短めのツインテールだけを残したような髪型だった。中学で流行していたボウズとは、目指す方向性がまったく違う。彼女は、僕や女王が通っていた中学の出身ではない。彼女のボウズが、中学時代の女王とはまるで違う来歴を持っていることは明らかだった。
 僕は、「女子のボウズが流行っているの、ウチの中学だけじゃなかったんだ…」と思うとともに、歴史の再演を予感していた。どこか冷たさを感じさせるような中学の女王の美しさに比べると、彼女の魅力はより親しみやすいものだった。「笑顔」という表情は、牙を剥き出すことをルーツに持つ、とても攻撃的なものだという。彼女の笑みには、そのような刺々しさをまるで感じさせない、とても軽やかなものだった。彼女の笑顔を見ているだけで、誰もが一日を楽しく過ごすことができるのだ。クラスの男子の半数以上が彼女に恋していたのではないだろうか。その彼女がボウズに挑戦したのだ。何が起こっても不思議じゃない。そう思えた。
 ところが、実際には、彼女のあとにつづくものは現れなかった。彼女の髪も、いつのまにか伸びていた。彼女はいつのまにか、特進クラスの男子とつきあいはじめていた。いけすかない男だった。秋、冬、春が来て、高校生2度目の夏がやってきても、ヘアスタイルにボウズを選ぶ女子はいなかった。時計が97年に巻き戻ることはなかったのだ。
 結局、ボウズの時代は1997年だけの流行で終わってしまったようだ。あれから、当時の年齢と同じくらいの時がたったけれど、まだ僕は街でボウズ頭の女性があふれる光景を目にしたことはない。1997年の教室は、今になって思い出しても、本当に何もかもまぼろしのようだ。平成生まれの後輩たちにこんな話をしても、「昭和世代の言うことはさっぱりわからん」といった表情であしわれるのがせいぜいで、まるで自分が嘘つきになってしまったような気分になるけれど、べつに彼らに信じてもらう必要なんてありはしないのだ。1997年がボウズの時代だったいうことは、クラスのアイドルが特進クラスの男子とつきあったときの胸の痛みと同じくらいに、僕にとっては確かなものなのだから。

*1:1番多かったのは、頭の上のほうだけを結ぶポニーテールに似た髪型。僕は心の中で勝手にカブトという名前をつけていた。いまだに本当の名前はわからない。