株はたいへんなものを盗んでいきました

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オリンピックの東京招致、どうも応援する気になれない。
そんなことしている場合なのかよ、というのがごく正直な感想だ。
オリンピックを開けば景気がよくなるとはいうけれど、それもわかるようでわからない話で、公共投資のお題目としてオリンピックが必要なだけなんだったらさ、それよりもはるかに緊急で重要な案件がいくらでもあるでしょーが、と思う。晴海の開発がなくなったって、凍土壁だの汚染水の処理施設だの、作らなければならないものは山ほどあるのだし、それで十分以上に金はかかるわけなのだから、それでよくないか?
……これがどれくらい的外れな考えなのか、経済に暗いおれにはよくわからないが、とにかくそんな風に思うのだ。
そんな風に思っているはずなのだが、それはそれとして、おれは、オリンピックでも来てくれないことには決して救われないほどの高値で不動産株を買ってしまっている。はるか高みにて燦然と輝く不動産株の取得原価をみるとき……「オリンピック? 結構ではないか、どんどんやりたまえ!」そんな声が己の内側から聞こえてくることを、否定するのはむずかしい。中途半端にお金を出したことによって、社会と利害という鎖でつながれたおれは、以前ならNOといったような案件にもかんたんにYESといってしまうのだ。もともと、おれの考えなんて、9割がたgoogleの検索結果に支配されていたようなものだけれども、わずかに残っていたはずの人間性、心さえも、いまや完全に消え失せようとしている。
いつだったか、どこかで停電が発生したとき、東京電力の株価が高騰したことがあった。インターネットの記事には、「停電が原発再稼働への世論の支持を高めることが期待されて買われた」と記されていた。そのときの自分は、それを狂気の沙汰だと感じたように思うのだけど、明日の自分がそれをどう考えるか、おれにはもうわからない。
入門者向けの株の本には、「株式投資をすることで、世界情勢への関心が高まりますよ!」なんてことが書いていて、確かに海外の記事を読むことは増えたけれど、結局何を見ても損得勘定に結びつける悪い癖を育ててしまっただけのように思う。海の向こうで戦争が始まると聞いても、同情するよりも先に「で、それでおれの株はどうなるの? 」なんてことを先に考えてしまう。
今日の自分はそれを悪魔の考えだと思っているけれど、明日の自分がそれをどう考えるか、おれにはもうわからない。なにが正気で、なにが狂気なのか、おれにはもうわからない。
株はたいへんなものを盗んでいきました……。