読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「エリジウム」と、スラムにも劣るおれの部屋

映画

エリジウム ビジュアルガイド (ShoPro Books)

エリジウム ビジュアルガイド (ShoPro Books)

ものすごく期待していた。天空に浮かぶ貴族の楽園、エリジウム。スラムと化した地上。荒々しく、野蛮なサイバネティックス描写。おいおい、これって、ザレムじゃん。銃夢じゃん。あの「第9地区」の監督が、銃夢の世界を映画にしてくれるというのだから、期待しないわけがない。いつになるかわからないジェームスキャメロンの銃夢を待っているよりも、ニールプロムカンプのエリジウムに期待したほうがよほどいい。そう思えた。
期待通り、エリジウムに登場するガジェットはどれも素晴らしいものだった。骨身に食い込むパワードスーツ。なぜか割れてしまうエネルギーシールド。百年後の未来でも現役な日産GT-R。どれもこれも最高にわくわくする。第9地区を観たときにも、パワードスーツがロケット弾をキャッチした瞬間、自分でも信じられないほど興奮したことを思い出した。けれど、第9地区の魅力はガジェットの面白さのみではなかった。観客の価値観をぐるりと転倒させるような企てが何より素晴らしかった。第九地区の主人公ヴィカスは、ごく普通の人間なのだが、そんな彼が平然と他者を差別する。ヴィカスは、笑いながら異星人の卵を焼き払う。恐ろしいことに、そこには悪意さえもない。ヴィカスはただ、異星人を対等の存在とみていないだけなのだ。そんな彼が、差別していた宇宙人になってしまい、これまで自分が行ってきた差別を、我が身で受けることになる。この展開には、非常に身につまされるものがあった。観客であるおれも、少なくともヴィカスと同じくらいには差別者であったからだ。映画の中盤から後半にかけては、観客であるおれは、都合よくも異星人の立場で感情移入していて、悪逆非道のヒューマン、許すまじ! くらいのことは考えているのだけど、笑いながら異星人の卵を焼くヴィカスこそがおれなのだ、という事実も、深く沈みこむように心に残っていく。
それに比べると、エリジウムには、身につまされるような切実さに乏しかったように思う。*1
何と言うか、エリジウムと地上の格差が、言うほど大きなもののようには見えないのだ。もし、おれがエリジウムに暮らしていたら、地上のことなど全く意識しないだろう。ナイキのスニーカーを履いて、新型のiphoneを買いに出かけるとき、児童労働やフォックスコンの自殺騒動を思い出したりはしないように。何しろ彼らは宇宙で暮らしているのだ。ところがエリジウムの人間ときたら、国防長官クラスの人間ですら、地上でも最悪のならず者と、ナイフが届く距離で話すことを躊躇わないのだ。おれがエリジウム人なら、不潔な地上人などとはモニター越しでも話さないだろう。おれがエリジウムで最もリアリティを感じたのは、序盤に登場する警察ロボットや保護観察人形の話の通じなさ加減だった。まるで取りつく島のないあの感じ。きっと虐げられた人々には、あらゆる人間のことがコミュニケーション不能な機械のように見えていることだろう、と思わせる説得力があった。エリジウムを目指す難民船を排除する際にも、エリジウム自体から攻撃を加えることはせずに、わざわざ地球からならず者にスティンガー的なミサイルを撃たせるという、奇妙に迂遠な描写にもそれは現れていたように思う。けれども、非情と穏当が入り交じり、真意の見えづらいエリジウムを、わかりやすくタカ派なジョディフォスターが牛耳ってしまうと、エリジウムは一気に単純化してしまう。そのジョディフォスターと地球のならず者が対等にやりあっているものだから、いよいよエリジウムははるか高みにある別世界であるようには思えなくなってしまう。だいたい、あらゆる特権を得ているはずのエリジウム民のやることといえば、ひたすらプールサイドでダベっているだけなのだ。全くうらやましくない。地上は地上で、ヒロインの住んでいる部屋なんてどう考えてもおれが住んでいる部屋よりも立派なものだから、それほどひどい世界にも見えないのだ。ディストピアを描いているはずなのに、現実の地球よりも余程マシのように感じてしまうのは、エリジウムのスラム描写が生温いのか、それともおれの部屋がひどすぎるのか……。

*1:主人公が労働災害放射線に被爆してしまうという展開にはほんとうに嫌な気持ちになったし、英語と日本語には自信がないのではっきり言えないのが歯がゆいが、Radioationを照射線と訳したことにも、何とも言えないモヤモヤがつのることにはなった。