CookPadで若いふたりが恋をする物語


僕は料理ができない。しかし、そんな僕にも、ぜひとも自らの手で料理をこしらえなければならない、そんな日は訪れるのであって、困り果てた僕はいつものように集合知に賭けた。平たくいうと、Cookpadでてきとうなレシピを拾ってくることに決めたのだ。そこで僕が、レシピの代わりに見つけたのが、”インターネットの大天使”だった。インターネットには変わり者が多いから、ちょっとぐらいおかしなやつがいたって僕はいちいち反応なんてしない。当たり前だ。はじめてダイアルアップでインターネットに接続した夜からどれほどの時間が流れたと思っているのだ。僕はもはや、何をみても心を動かされることはない。そのはずだった。しかし(もちろん)、僕は彼女を無視することができなかった。

彼女は、少なくとも百を越えるレシピをCookPadで公開していた。

「パンにバターを塗ってトースターで焼きます。バタートーストの完成です。」
「パンにチーズをのせてトースターで焼きます。チーズトーストの完成です。」

百を越える彼女のレシピすべてに目を通したわけではない。ないけれども、僕のみた限りでは、彼女のレシピのほとんどは、トーストのバリエーションで占められているようだった。もちろん、書き方によっては、食パンの焼き方だって立派にレシピになりうるだろう。僕は料理ができないので、トーストが会心の焦げ具合で仕上がることなんて、半年に一度あるかどうか、といったところだ。理想のトーストを確実に焼くことのできる方法があるのなら、それこそ最高のレシピだろう。僕はそれにはてなポイントを支払ってもいい。千ポイントぐらいは出そうじゃないか。

残念なことに、彼女のレシピはそうした類のものでもなかった。漠然と、パンを焼いては何かを塗る。ただそれだけ。恥知らずな彼女はそれをレシピと称しているのだった。いちごジャム、マーマレード、ピーナッツクリーム。彼女はパンに何かを塗りつづけた。その度にレシピが増えていった。

ごく正直に打ち明けるなら、はじめに僕が抱いたのは、とても醜い感情だった。僕は彼女のことを嘲り笑っていた。自分より劣ったものにたいして抱く、おなじみのあの暗い喜び。今にして思えば、とんだお笑い草だ。自分より劣った存在も何もない。料理ができないのは、僕も彼女も同じだ。僕はこれまで一度も灰汁をとったことがない。僕らの違いは、ただひとつだけ。あんなレシピを人に見せたら、嘲り笑われてしまう。そのことを、彼女は知らない。 僕は知っている。人から笑われることの怖さを知っている。ただそれだけだ。でも、それってそんなに偉いことなんだろうか?

全く得るものがないとわかっていたのに、僕は彼女のレシピを読み進めることを止めることができなかった。僕はよほど誰かを馬鹿にしたくてたまらなかったのだろうか。自分で自分がわからない。何もかもがわからないままに、パンに何かを塗って焼くだけの彼女のレシピをいくつ読んだろうか、気がつけば僕はすっかり恋に落ちてしまっていた。あばたもえくぼ、とはよく言ったもので、彼女の「無知」は「無垢」な美しさであるとしか思えなくなった。彼女のレシピを読む僕の脳裏に浮かぶのは、例えるならば、毒気を抜いた佐々木希、あざとさのない橋本環奈、つまり天使の姿だった。

それからの日々は地獄だった。彼女に恋していながらも、僕は彼女を見下すことを止められなかった。むしろ、安心して見下すことのできる存在だったからこそ、僕は彼女を好きになったのかもしれない。そんなことを考えはじめたら、もはや正気でいることは難しい。僕はインターネットの夢などみていない。僕はインターネットの悪夢をみている。夢から逃れるようにして眠り、夢に囚われる前に目を覚ます。そんな毎日に耐えられなくなって、僕はインターネットを止めた。ブロガーを辞めた。以前から薄々は気がついていたことだけれども、インターネットを止めると人生が捗る。この一年で、勤め先での役職が主任になった。結婚した。息子が生まれた。何もかもが目まぐるしく変わっていくなかで、僕は彼女のことをほとんど忘れていた。だから、僕はまた彼女に会いたくなった。「Cookpad トースト レシピ」「Cookpad トースト 天使」「橋本環奈」彼女を象徴する言葉を、思いつく限り検索窓に打ちこんだ。しかし、僕がインターネットで出会ったかけがえのない人たちと同じように、彼女もまた、「Not Found 見つかりません」になっていた。かいのない検索をつづける僕の足元では、はいはいを覚えたばかりの息子が泣いている。インターネットが終わり、人生が始まる。