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金魚

一昨年の夏、おれは金魚を飼いたかった。体感としては、金魚を飼いたかったのは去年の夏なのだが、そのころのおれは解決しがたい難問に頭を悩ませていたわけで、そんな呑気なことを考える余裕があったはずはない。とすると、やはりあれは一昨年の夏のことだったのだろう。「プールに金魚を放して一緒に泳げば楽しいと思った」事件が報道されたのは三年前の秋。もしかするとおれが金魚を欲しかったのもそのときなのかも、とも思う。もはや夏ですらない。何もわからない。原始人の感性では、三十過ぎはもはや老人。一年前のことも二年前のことも、もしかすると十年前のことも、頭の中では等距離に並んでいて、きちんと順番をつけて整理することは難しい。年齢のせいにするのは簡単だけども、よく考えてみれば学生のころ世界史が好きだったわりに試験の成績は決して良くなかった。年表をまるで覚えられず、点と点を因果という線で結ぶことが不得手だった。だとすると、おれは若いころからまるで変わっておらず、そもそものはじめからそのような人間であったのかもしれない。一昨年か去年かわからないけれども、おれはともかく金魚を飼いたかった。
獅子頭。頂天眼。蘭鋳。こうやって名前を書き連ねるだけでもうっとりしてしまう。まるで斬魄刀の名前のようじゃないか? 冷めた眼でみるとひたすらグロデスクな生き物だし、文化としても病み感がハンパない。でも、当時のおれはそういったものが欲しかった。生物に感情移入したいとは思っていなかったのだ。犬や猫では重かった。こういうと怒られるかもしれないけれど、おれは機械のような佇まいをした生物が欲しかった。犬や猫が死ねば悲しい。こういうとさらに怒られるかもしれないけど、金魚が死んでもそれほどは悲しくならない気がした。
生物をなんだと思っているんだ! →でも、金魚は半分くらい人工的な生物でしょ。 → 人工的な生物がそうじゃない生物よりも価値が低いの? → そうじゃないけど、人が作った生物なら、人がある程度まで生殺与奪っても許される感じしない? ていうか金魚が露骨なだけで、犬でも猫でもやってること自体は同じじゃない? そもそも愛玩用に動物飼うってやっぱ病んでるよ絶対。
そんな子供じみた意見は無視しておくにしても、現実的に考えて、金魚って死んだらどうすればいいんだろうか。公園に埋めるってわけにはいかないなら、生ゴミとして扱うしかないのか。昨日まで愛でていた生き物をゴミ袋に放り込む自分の姿を想像すると、さすがに怖くなって、金魚なんて飼うのは止めようと思った。たぶん、金魚にとっては幸運なことだったのだろうと思う。闘魚も欲しくなったが、飼わなかった。闘魚にとっても、きっと幸運なことだったのだろう。生物は生物を機械扱いする人間とかかわるべきではない。