読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

息子の生命はあたらしい

息子が生まれてもう一年と半年が過ぎた。非力な自分の血を引いているとは思えないほど、息子はパワフルだ。まさか一歳児のパワーに対抗するために、大人が全力を出なさければならないとは思っていなかった。赤子の手を捻るって、イメージほど簡単じゃない。いっしょに風呂に入ると、赤ちゃんのくせに筋骨隆々なからだに驚く。ミニサイズの力士のような体型なんだ。知力もスゴい。当たり前といえば当たり前なのだが、学習能力は大人の百倍以上だ。当たり前といえば当たり前なのだが、たとえ何であれ、彼のみるものは全てあたらしく、すばらしいものなのだ。その辺に埋まっている測量点を見つけるだけでよろこびはしゃぎまわる。
 そんな息子の姿をみていると、月並みな感想だけど、ああ、おれの生命は終わったんだな、と思う。古いからだを火にくべて生まれ変わる不死鳥が、生命のもっとも正確な比喩であることに改めて気づく。生命は遺伝子の乗り物とか、そんな考え方を持ち出す必要もなく実感できる。息子の生命はおれより新しい。妻の生命よりも新しい。孫の生命はきっと、息子の生命よりも新しい。これを無限に繰り返せばたとえば三千年後にも何らかの形でおれも妻や息子も生き残ることになるわけで、これは生命ヤバイわと思う。そりゃまあ死ぬときゃ死ぬけど不死といえば不死みたいなもんじゃんと思う。生命ヤバい、無限、永遠、宇宙的スケールに圧倒されながら、おれは小市民なので、できれば自分の欠点は未来に持っていって欲しくないなと思う。そんなものが無限に引き継がれていくなんて、想像するだけでゾッとする。ぜひとも母親の遺伝子に勝利してもらいたいところなのだけど、息子の振る舞いには、たしかに自分の性格的な欠点が見て取れる。気が弱いくせに調子乗りなところは、ほんとうに自分そっくりだ。僕は息子に願わずにはいられない。父が屈服したこの業を、おまえの代で何とかしてくれと。パワフルな息子をみていると、あるいはそれも可能では、と思えてくるのだ。何しろ息子には無限の可能性がある。錦織くんのように素晴らしい青年になる可能性だってゼロではない。父親から受け継いだ弱気など、きっとおまえはものともしないはずだ。父は、そう信じている。