恐怖症とのつきあい方

振り子が怖い。
振り子の何がそんなに怖いかってことを、どれだけ丁寧に説明したとしても、この文章を読んでくれる方々に伝えることはできないと思う。振り子にかかる重力と慣性が釣り合い、頂点で一瞬静止、再び落下する。その崩壊感覚がおれにはたまらなく恐ろしい。回転運動になってしまえば、まるで怖くない。何を言っているのかわからないと思う。家族や友人、恋人にだってこれは理解されない。だいたい、実家には普通に振り子時計があったし…。いや、別に恨み節を言いたいわけではないんだ。おれはそんなの当然だって思っている。ほんとに。
たとえば、おれだって、30センチの段差が怖い、なんていう人の気持ちを理解することなんてできないし、するつもりもないのだから、おれの苦痛だって誰にも理解されなくて当然だ。苦痛を誰とも分かち合えないからといって、それで別に不都合があるわけじゃない。それでも、はじめてGoogleで「振り子恐怖症」と検索したときには、不覚にも目頭が熱くなってしまった。こんな珍妙なものを怖がっている人間など、おれくらいしかいないと思っていた。でも、そうじゃないんだってことが、インターネットでわかった。
http://blog.livedoor.jp/autumn_is_here/archives/51315548.html#comments
ここのコメント欄なんて、今読んでみても涙が出そうになる。ひとくちに「振り子」といっても、何に恐怖を感じるものは微妙に異なっているし、恐怖の強さもまた人によって程度が違うようだけど、その質は自分が幼いころから感じていたものと実によく似通っていた。

離れて視界から無くなっても、「まだあそこに揺れているものがある」と考えるだけで落ち着けない。

これはもう、おれにとっては完全に「振り子恐怖症あるある」だ。公園のブランコ、待合い室の柱時計、メトロノーム。ひとたびそれらが視界に入ってしまえば、振り子を意識してしまったら、終わり。そこから目をそらしても、たとえその場を立ち去ったとしても、振り子の恐怖から逃れることはできない。むしろ、実物をみないことで、頭の中でどんどん振り子の振幅と恐怖が大きくなってくる。しまいには立っているのも辛くなる。じゃあ、最初から振り子に近づかなきゃいいじゃんってあなたは思うかもしれないし、実際それは正しい部分もあるのだけど、やはりそれは簡単なことじゃない。振り子はいつどこに潜んでいるかわからないものだからね。

これは子どものころの話なんだけど、家族で東京を旅行したんだよね。ちょうどコカ・コーラ社が、「透明なコーラ」なんて売り文句でタブクリアというドリンクを売り出していたころだったんじゃないかな。今にして思えば、コーラが透明だからどうしたって話だし、スプライトでも飲んでればいいじゃねえかとも思う。明治神宮フォルクスワーゲンのマークが入った財布を落としたときは、引きかえして社務所に聞いてきたらちゃんと財布が届けられていて、東京はすごいな、地元じゃあまず考えられないことだな、なんて感激したりして、トラブルがありながらも楽しい時間だったんだけど、振り子はそんな時間をも容赦なく侵食していく。奴らはためらわない。
旅行の最後、親が上野の博物館に連れてってくれた。まあ、おれもこうみえて男の子なので、古生代巨大生物の化石標本とかみるとテンションがあがるよね。「こんなのドラゴンじゃん…!ドラゴンはほんとうにいたんだ!」その興奮は今でも覚えているんだけど、忘れようにも忘れられない展示は他にある。悪魔の発明、「フーコーの振り子」だ。もしもおれがタイムトラベラーだったら、フーコーが振り子を考案する前に迷わず暗殺していた。そう思わせるほど、呪わしいアイテムだ。
振り子恐怖症者なら誰でもその悪夢をみて、地球上にはそれが存在しないことを心の拠り所にしていた「永遠の振り子」。それが、すでにこの世にリリースされていたことに気がついてしまった。はじめての東京に浮かれていた気持ちは雲散そして霧消してしまった。家族には申し訳なかったと思う。ドラゴン!ドラゴン!と言ってハッスルしていた息子が急に押し黙って、顔をあげて歩くことができなくなってしまったのだから、きっと気味が悪かったと思う。でも、息子はほんとうにフーコーの振り子が怖かったのだ。冷静に考えてみれば、「フーコーの振り子」の揺れ方はおれに恐怖を与えるような種類のものではなかったのだけど、そのときは冷静に考える余裕などなかった。
「永遠の振り子」が実在したのだから、これまでにみたあらゆる悪夢は現実に存在しうる。そう思えた。怖かった。
実際、おれの想像力は、ネガティブな方向については限界がない様子で、見ようによってはこの世のほとんど全てを振り子に見立てることができるようだった。浜に打ち寄せる波が振り子に見えそうになった時期もあった。当時おれは沖縄に住んでいたので、海の波まで怖いなんてことになれば、ほんとうにどこにも行くことができなくなってしまう。さすがにそれは辛すぎるし、海が嫌いになるのも嫌だったので、波は怖くないと思い込むことに決めて、これに成功した。我ながらよくやったといいたい。失敗してたら、ほんとに生きていくのがむずかしくなっていたはずだ。今の職場の窓からも、海がみえるわけだからね。失職まったなしのところだった。

こういう風に書いてゆくと、ちょっと病的な感じもするけれど、自分のメンタルは十分にヘルシーだと思っている。実際、ごく最近まで、振り子恐怖症のことなど忘れていたくらいなのだ。なぜ思い出してしまったかというと、それは息子が生まれたことで、否応なしに振り子に関わることになったからだ。幸いなことに、ほんとうに幸いなことに、この恐怖は息子に遺伝しなかった。一歳の息子はブランコが大好きで、ブランコを揺らしてやると、満面の笑みで「もう一回!」とリクエストしてくる。通常、息子の「もう一回!」には終わりというものがない。何かをせがむ言葉を「もう一回!」しか知らないからそう言っているだけで、彼にはあと一回で父親を解放するつもりなどさらさらないのだった。
ブランコ…。いや、おれももう十分に成長した。一歳児のブランコごときを恐れることなどありえない。ありえないのだが、隣のブランコが、息子のブランコの周期の裏をとるようなタイミングで揺れるとき、おれはなぜか息子の小さなからだに閉じ込められて、隣のブランコが二倍の相対速度ですれ違うのを感じる。それは今でもやはり怖いのだ。正直いうと、今すぐ家に帰りたいと思うけれど、おれはもう大人で父親なのだ。息子が「もう一回!」という以上、何回でもブランコを揺らさなくてはならない。そんな決意を胸に、ときにギブアップすることもありながら、おれは息子の乗るブランコを揺らしている。