僕はゆとり世代

もしかすると君は、いわゆるゆとり世代にあたるのかもしれない。
文部科学大臣ゆとり教育は失敗だったと総括されて(実際はそういうことは言っていないような気もするけれど)、悲しんだり憤ったりしているのかもしれない。でも、正直に言ってしまうと、僕は君の怒りに共感することはできない。社会の扱いがひどいというなら、氷河期の先輩方の方がよっぽどひどい。そもそも、ゆとり教育を恨む、という発想が持てるというだけで、君が素晴らしい教育環境を享受してきたことが僕にはわかってしまう。僕は君の幸運に嫉妬する。君の怒りや悲しみを理解することは、できない。

僕は82年生で、いわゆるゆとり世代にはあてはまらない。でも、はっきり言って僕の中のゆとりは君たちの数段上のレベルにある。内なるゆとりをなだめすかしながら生きているうちにいつのまにか30歳を超えてしまって、職場でもゆとり世代と呼ばれる平成生まれの若者たちを後輩に持つようになったけれど、ひとりとして僕が期待するほどのゆとりを備えたものはいなかった。僕のゆとりに比べれば、彼らのゆとりなどないも同然だった。彼らの仕事ぶりは丁寧で、洗練されていた。そのうえ勤勉だ。一方、僕は30分労働するたびに15分の休憩を必要とする男だ。
どう考えても、ゆとり世代と呼ばれる彼らよりも、自分の方がゆとっていることは明らかだった。


どうして、こんなことになってしまったのだろう?
僕が受けてきた教育は、ゆとりではないはずだ。
それなのに、僕はどうしてこうもゆとりなのだ?

僕は自分の受けてきた教育をいまいちど思い返してみた。
ひどいものだった。僕の通っていた小学校は全国で2番目に頭が悪い学校だった。どういう基準で1番だの2番だのと言っていたのかはわからないが、その学校の教師自身がそう言っていたのだから、そうなのだろう。確かに、生徒の質は低かったかもしれない。だけど、というべきか、それゆえに、というべきか、ごくわずかな例外を除けば*1、授業の質だって決して褒められたものではなかった。

特に国語の授業は退屈だった。教師の後について、ひたすら輪読を繰り返すだけの授業。まるで念仏を唱えているようだった。ゾンビになった気分だった。
自分の好きな本を読みたかったけれど、こそこそと隠れ読むのも楽じゃない。仕方がないから、僕は副読本をひたすらぼんやりと眺めていた。草野心平という詩人は、ホントに間寛平に似てるナア……。そんなことを考えている間に終業のチャイムが鳴る、そんなことを何回も繰り返しているうちに僕の義務教育は終わってしまった。

大学進学で上京して思い知ったのは、東京近郊に生まれ育った友人たちとの教養レベルの差である。僕が国語の副読本でイケメン詩人ランキングを作っている間に、彼らは正当な教育を受けていたのだ。ちなみにイケメンランキングでは萩原朔太郎が一番イケメンで、一番ブサイクなのは宮沢賢治という結論に至った。僕はもちろん賢治派だ。

そんな不毛なことに興じている間に、取り返しようのないほど大きな格差が生じてしまった。ひどい話だ。僕が育った土地には、ヤンキーとオタクしかいなくて、娯楽といえばボーリング場くらいしかなくって、勉強ができるということは恥ずかしいことだった。そういう土地で詰め込み教育をしたら何が起きると思う? 輪読の時間がただひたすら長くなって、僕が草野心平の顔写真を眺める時間が長くなる。ただ、それだけのことだ。
何も変わりはしない。だから、僕は、ゆとり教育に怒っている君を見ると、むしろ羨ましくなってしまう。「教育を受ければ受けただけ、自分の能力はより向上できたはずだ」そう期待できる程度には、良い教育を受けてきたということだからだ。時代を超越した真のゆとりである僕から見ると、君たちは十分に優秀だし、一体これ以上何を望んでいるのだろうと思ってしまう。まあ、実際には上の世代の方が、彼らにグチャグチャと難癖をつけすぎているのだろうが……。

*1:T先生、G先生、Y先生、その節はたいへんお世話になりました