「怒り」と「逮捕されるまで」

シン・ゴジラを観にいったら、予告編で渡辺謙が渋い声で「怒り」とタイトルコールしていた。そういや悪人も結構良かったな、なんてことを思い出して、
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まずは「怒り」の原作を読んでみた。十分に面白かったのだけど、何だか釈然としない。これ「怒り」って話かな? 「怒り」なんて全然関係ないんじゃない?なんて思った。そういや、「悪人」を読んだ時も、これ「悪人」の話かあ? なんて思ってモヤモヤした気がする。「パレード」はすごくよかった気もするけれど。
「怒り」が辛いのは、正直に言って、元ネタになったであろう「逮捕されるまで 空白の2年7ヶ月の記録」の方が面白いというところだろう。と言っても、これは「怒り」が悪いというわけでは決してなくて、「逮捕されるまで」がちょっと異様なくらい良すぎるのが問題なのだ。「逮捕されるまで」は、僕が今まで読んだ本の中でもベスト10に入るくらい面白いので、それと比べて面白いだとかつまらないだとかいうのもフェアではない、という気はする。不謹慎なようだけど、「逮捕されるまで」を読んでいると不思議とガッツが湧いてくる。市橋達也は許されざる罪人、悪人であることは間違いのないところだと思うのだけど、彼の足取りはちょっと不思議なくらい自由で、どうしても惹かれてしまう。無人島でサバイバルに挑戦したと思ったら、台風に打ち負かされて、島を後をせざるをえなくなって、だけども彼はホームセンターでスコップや調理器具を買い揃えて、図書館で魚や植物の種類や特性を調べて、いっとき自然を克服する。現金を得るために飯場を転々として、アスベストにまみれて働く現場は辛いとはいうけれど、なんだかんだどこにいって女の子にモテてしまうし……。逃亡者としての圧倒的な不自由さにさらされながら、それでも何だか彼は自由なのである。我が身に引き比べて考えてみれば、おれは逃亡者でも犯罪者でもないのだから、市橋達也よりも、もっともっと自由に生きられるはずじゃんか! などと思う。 大げさに言うと、生きる勇気が湧いてくる。人殺しに生きる勇気もらってどうするんだって自分でも思うけれども……。たいへん残念なことに、彼には明らかに才能がある。生命の力がみなぎっている。酒鬼薔薇聖斗の「絶歌」は、陳腐で、自己陶酔的で、物を書く才能がないとなどと散々にこき下ろされていたし、おれも全くの同意見なのだけど、じゃあ、犯罪者に才能があったらどうするんだよ、などと言いたい気持ちもある。才能があるからといって、何もかもをチャラにして、好きになってしまっていいのかよ。そんなはずがない、と思いながら、市橋達也の才能に圧倒されてしまう自分がいる。そういった意味では、酒鬼薔薇聖斗の才気が失われていて、本当に良かったと思う。もしも、彼に犯行声明文を書いた頃の才気が残っていたら、それこそ悪のカリスマとして持て囃されていないとも限らなかったし、自分がその列に加わってしまうのは本当に嫌でたまらないのだけど、事と次第によってはそれも十分ありえたと思うから。