この世界の片隅に

この映画を観たのは、もうずいぶん前のことで、観た後ずっと、自分の中で整理がつけられずにモヤモヤとした気分がつづいていて、それは今こうして文章を書いている時点においても全く解消されていないのだけれど、これだけ時間が経ってもモヤモヤが消えないということは、たぶんこのモヤモヤは時間の経過とともに消えるたぐいのものではないと思うので、感情や思考に整理をつけるのは諦め、モヤモヤをモヤモヤしたまま書き記すことにしました。
 大前提として、これはもう、本当に素晴らしい映画でした。今年観た映画でいちばんよかった。といっても、今年は映画を三本くらいしか観ていないわけですが、おそらく百本観たとしても、この映画が年間ベストであるという結論が変わることはないと思います。原作も読みましたが、のんさんの好演によって、すずさんに新しい生命が与えられていて、おれはもう、すずさんが、かつてこの世界に実際に暮らしていた人としか思えなくなっていますから。ほんとうに素晴らしかった。
 その上で、おれはやっぱり、すずさんみたいな生き方を、よしとしたくはないんですよ。ざっくりとした説明になってしまうけれど、「戦争」という大状況のもとでも、個人には個人の生活というものがあって、すずさんは戦時下においても、楠公飯を炊いたり、防空壕を掘りながら口づけしたり、生活をエンジョイしようという努力を放棄したりはしない。もちろん、それ自体は良いことだし、我々にはそれくらいのことしかできないことは重々分かっているんだけど、結局、「生活」では戦争を止めることはできないんですよ。「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」とかいうけれど、やっぱりそれは嘘なんだと思います。全くの嘘ではないにしても、「美しい生活への執着」の力で、「丸山真男をひっぱたきたい」という欲望を制することは、難しいというか、ぶっちゃけ不可能なのでしょう。おれは沖縄の生まれなので、平和教育という名のもとに、ゴア画像に親しむ幼少期を過ごしてきました。「人間が人間でなくなるとき」という写真集がいちばん印象に残っているのですが、撃たれたり、切られたり、生きながら焼かれたり、とても幸福な最期を迎えたとは思われない死体の群れを眺めながら、子供心に不思議だったのは、「どうして人間はこんな愚かなことをしでかしてしまうのだろう?」ということだったのですが、もちろんそれはまだ人生を始めていない子供だからこそ、下界の眺める神のように傲慢な疑問を抱いてしまうのであって、大人になったおれは、人間が戦争をしたがる理由など、問うまでもなく我が事として理解しているのです。結局のところ、戦争を支えている力としては、支配者層の強欲よりも、市井の人々の絶望の方がずっと強くて、我が身にも巣食うこの暗い情念を、米の炊き方程度でどうこうできるとは全く思われない。
 実際のところ、生活の困窮にも文句ひとつ漏らすでもなく、物資の欠乏を健気な工夫で乗り切ろうとする、すずさんの生き方は、戦争をやりたい人々にとっては大変に都合の良いものでしかないですよね。美しくも微笑ましいすずさんの暮らしぶりも、戦争に加担するものだということだってできる。実際、原作にもそれを意図するシーンがあったと思います。しかし、だからといって、じゃあ他にどういう生き方ができるよ? って考えると、もう口ごもるしかなくて、ずっとモヤモヤしたまま、モヤモヤが頭の中を覆いつくしていって、今に至るというわけです。